
2026年1月15日現在、G2最多勝はバランスオブゲームの6勝、5勝にはメジロマックイーンなどが続く。ただし、これらの馬はいずれもG2以外の重賞勝利がある。
一方で、G2“のみ”を複数回勝利した馬も存在する。近年ではディープボンドなどがその例だ。今回は、2000年以降に活躍したG2のみ勝利した5頭を紹介する。[4/5ページ]
④スーパーホーネット
主な勝ち鞍:G2・4勝(2007スワンS、2008京王杯スプリングC、毎日王冠、2009読売マイラーズC)
2025年11月、フォーエバーヤングでブリーダーズカップ・クラシックを制覇した矢作芳人師。日本馬で初となる偉業を成し遂げたことから「世界のYAHAGI」の印象がより一層強まったレースとなった。
そんな矢作師が厩舎を開業した直後、看板馬として一線級で活躍を続けた馬がスーパーホーネットである。
2歳時からG1で2着になるなど、その素質の片鱗を見せていたスーパーホーネットだったが、その後のクラシックでは凡走。3歳11月のカシオペアステークスでキャリア3勝目を挙げたが、重賞では着外が続いていた。
年が明けて4歳の3月、大阪城ステークスで通算4度目の勝利を飾る。この時の鞍上が、当時デビュー4年目の藤岡佑介騎手。ここから引退まで、佑介騎手はスーパーホーネットの手綱を一度も離すことなく相棒であり続けた。
秋にはスワンステークスを制し重賞初勝利。続くマイルチャンピオンシップではダイワメジャーの2着に好走しシーズンを終える。
翌年も京王杯スプリングカップを制し、10月の毎日王冠では、女王・ウオッカを上り33秒3の豪脚で交わし去るというド派手なパフォーマンスで、G2・3勝目を挙げ、完全に充実期へと突入した。
続くマイルチャンピオンシップはインを突いて伸びてきたブルーメンブラットを捉えられずに2着。この時4枠だったブルーメンブラットに対し、スーパーホーネットは8枠。
枠による有利不利の差もあったかもしれないが、祐介騎手はのちにこのレースを「今でも『G1を勝つならあの時だった』と思います」と振り返っており、矢作師も「『悔しかったレース』として記憶に強く残っている1戦」とコメントしている。
それくらい、2人にとって強烈に悔しさを刻み込まれたレースだったのだろう。
この翌年もマイラーズカップを制し、G2・4勝目を挙げるなど変わらぬ安定感を見せたが、最後までG1タイトルには手が届かず、屈腱炎を発症して引退。アロースタッドで種牡馬入りとなった。
のちに消息は不明となってしまったが、息子であるハイパーホーネットも種牡馬入りし、2024年にはママテイオーノユメとの間にバディーブロンコが誕生した。
現在、血統書で確認できる彼の産駒はこの1頭のみだが、わずかながら血を繋げている。
時が経ち、矢作師はリスグラシューやマルシュロレーヌ、フォーエバーヤングなどの活躍により、世界に名を轟かせる名トレーナーとなった。
そして、佑介騎手もJRAのG1を2勝を挙げる活躍。2026年2月をもって騎手を引退し、調教師に転身することが発表された。
そんな両者が口をそろえて「あの馬がいたから今の自分がある」「今の自分だったら…」という言葉。彼らの今の活躍は、互いの黎明期にスーパーホーネットがいたからこそであろう。
現状、限りなく低い可能性であることは理解しているが、もし叶うのならばいつの日かスーパーホーネットの血を持つ馬が、藤岡佑介師、もしくは矢作芳人師の下で走る、そんな夢を見たい。


