
2025年は日本競馬史に、またひとつ大きな金字塔が打ち立てられた。フォーエバーヤングが、日本馬として史上初となるブリーダーズカップ・クラシック制覇という快挙を成し遂げたのである。そこで今回は、フォーエバーヤングのキャリアから象徴的な6レースをピックアップ。世界の頂点へと駆け上がるまでの軌跡を振り返る。[5/6ページ]
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⑤サウジカップ
BCクラシックで日米3歳馬ワンツースリー決着の3着となった後は、年末の東京大賞典を勝利して日本のファンに元気な姿を見せ、4歳シーズンを迎えたフォーエバーヤング。
4歳初戦は、昨年サウジダービーを勝利したサウジアラビアの地で迎えた。今年はメインレースとなるサウジカップへと出走。ここで新たなライバルと死闘を演じることとなる。
そのライバルとは、香港の英雄ロマンチックウォリアー。芝マイル〜中距離で圧倒的な強さを見せ、日本の安田記念にも遠征して勝利。日本馬は日本の地でも香港の地でも、この馬に勝利することができていなかった。
もちろん初のダート戦で未知数な面はあったが、フォーエバーヤングと人気を二分するような一戦であった。
レースは、ウォークオブスターズがハナを切り、フォーエバーヤングは大外枠から好スタートを決めて2番手集団の一角にポジションを取る。ロマンチックウォリアーはその1列後ろでフォーエバーヤングの動きを見るように進めていた。
先にレースを動かしたのは、後ろにいたロマンチックウォリアー。3〜4角の中間あたりで外をスーッと上がっていき、持ったままで先頭へと並びかける。フォーエバーヤングもこれに対抗しようとするが、手ごたえは雲泥の差。ロマンチックウォリアーが先頭へと立って4角を回り、最後の直線へと向かう。
直線に入ると、先頭のロマンチックウォリアーがリードを2馬身ほどにまで広げる。しかしここからが、フォーエバーヤングの真骨頂。ロマンチックウォリアーより内にいた馬体を外へと切り替えると、残り200mからエンジンが点火。
2馬身まで広がっていたロマンチックウォリアーのリードが徐々に徐々に縮まっていく。最後は、測ったようにクビ差捕らえたところがゴール。ロマンチックウォリアーの後ろには10馬身半の大差がつき、完全に2頭による世界であった。
日本馬の壁となっていたロマンチックウォリアーを、ダートの舞台とはいえようやく撃破したフォーエバーヤング。次なるライバルは、ケンタッキーダービーとBCクラシックで敗れた同世代のアメリカ馬たちとなる。



