メジロマックイーンからマカヒキまで! 数多の名勝負を生んだ伝統の一戦【京都大賞典名勝負5選】
京都大賞典は、かつて天皇賞(秋)の前哨戦として注目されていたが、近年ではジャパンカップや有馬記念へのステップレースとしての重要性が増している。名馬たちが秋の始動戦として挑む伝統の重賞であり、メジロマックイーンやテイエムオペラオーなど一流馬が数多く勝利してきた。今回は、京都大賞典における注目のレースを5つピックアップして紹介する。
①1993年(勝ち馬メジロマックイーン)
最初に取り上げるのは、1993年の京都大賞典。この年は王者に挑戦者が挑むという構図で、1強もしくは2強という見方が大半であった。
迎え撃つ王者はメジロマックイーン。G1タイトルを4つ持ち、直前の宝塚記念でも単勝1.5倍という断然人気に応えて快勝。7歳(現6歳)となっても力の衰えはまったくなく、未だ縁のなかった秋古馬G1奪取に向けての始動戦であった。
そこに挑戦する立場であったのが、5歳馬のレガシーワールド。G1勝利こそなかったが、4歳時にジャパンカップ4着、有馬記念2着と古馬一線級相手に結果を残していた。悲願のG1タイトル奪取に向け、こちらも秋の始動戦となっていた。
そしてこの2頭、ともに故障に悩まされており、レガシーワールドが活躍した前年秋はメジロマックイーンが骨折で戦線離脱しており、メジロマックイーンが復帰した同年春にはレガシーワールドが骨折で戦線離脱中。レガシーワールドは京都大賞典が8カ月半ぶりの実戦復帰で、この2頭が対戦するのは初めてであった。
レースはメジロパーマーの逃げで進み、レガシーワールドは好位を確保。その直後にメジロマックイーンが構える展開となった。メジロパーマーは1000m通過は58秒2というハイラップを刻むが、残り800m辺りで早くも後退。残り600mでレガシーワールドが先頭に立つも、その外を持ったままの手ごたえで並びかけてきたのがメジロマックイーン。直線はメジロマックイーンの独壇場で、レガシーワールドはオースミロッチの追撃を抑えて2着を確保するのが精一杯。王者マックイーンが3馬身半の差をつけて快勝。勝ち時計の2分22秒7は、コースレコードであった。
その後、メジロマックイーンは繋靭帯炎を発症。結果的にこの京都大賞典が引退レースとなった。
対してレガシーワールドは、次走のジャパンカップを制してG1初制覇を飾った。競馬にたらればは禁物だが、メジロマックイーンが無事なら、と思わせるほど鮮やかな、京都大賞典の勝利であった。