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1991年有馬記念1着ダイユウサク(写真左)、2着メジロマックイーン(写真右)
1991年有馬記念1着ダイユウサク(写真左)、2着メジロマックイーン(写真右)

年の瀬のグランプリ・有馬記念は、名馬がそろう一方で番狂わせも少なくない。
昨年も5番人気のレガレイラが勝利を収め、10番人気シャフリヤールと波乱の決着だった。
そこで今回の企画では、1990年以降の有馬記念で3着以内に入ったのべ105頭のうち、単勝オッズが高かった5頭をランキング形式で紹介していく。[5/5ページ]

第1位 1991年ダイユウサク

1着(14番人気、137.9倍)

 有馬記念を語る上で欠かせないレースの一つが、1991年に行われた一戦だろう。誰もが驚いた伏兵の強襲は、レース史上唯一の単勝万馬券を生んだ。

 1番人気に支持されたのは、その時点で菊花賞と天皇賞・春の2つのG1タイトルを手中に収めていたメジロマックイーンだ。

 現役最強と称されながら、4歳秋は天皇賞・秋で1位入線も18着に降着。続くジャパンCは、外国馬に上位独占を許す4着と精彩を欠いていた。

 それでもファンはメジロマックイーンを信頼。有馬記念でも、単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持していた。そしてツインターボの軽快な逃げで幕を開けたグランプリは、意外な形で結末を迎えることになる。

 武豊騎手とメジロマックイーンは無理をせず道中は中団8番手を追走。馬込みで脚を溜め、得意の持久力勝負に持ち込もうとしていた。

 ところが、勝負どころに差し掛かってもいつものようなダッシュがつかず、4コーナー手前でもようやく4番手という位置取り。直線を向いたときもまだ前を行くダイタクヘリオスとプレクラスニーとは3~4馬身の差があった。

 しかし、メジロマックイーンは武騎手のステッキに反応し中山の坂下で加速すると、一気に先頭に並ぶ勢い。そのまま差し切るかと思われたが、内からスルスルと伸びてきたのが、15頭立ての14番人気ダイユウサクだった。

 6歳を迎えたダイユウサクはその年の金杯で重賞初勝利を飾ったものの、その後は重賞で善戦止まりだった。金杯以来となる勝利を挙げたのは、有馬記念の2週前に行われたオープンの阪神競馬場新装記念(芝1600m)。

 マイル路線を歩んでいたことに加えて、中1週というローテも嫌われたか、強豪がそろった一戦では全くのノーマークだった。

 しかし、熊沢重文騎手(当時)を背に、終始メジロマックイーンを前に見る形で進んだダイユウサクは、最後の直線で内に進路を取ると、一世一代の瞬発力を発揮。

 最後はメジロマックイーンに並ばれることなく、1馬身1/4の差をつけてゴールに飛び込んだ。

 単勝は1万3790円の大万馬券。フジテレビの堺正幸アナウンサーの「これはびっくり、ダイユウサク!」の名台詞が生まれた瞬間でもあった。

 晴れてグランプリホースとなったダイユウサクは、7歳となった翌年も現役を続行。春は天皇賞・春→安田記念→宝塚記念とG1路線を歩み、秋まで6戦をこなしたが、メジロマックイーンを退けたあの末脚を発揮することはなかった。

【了】

【著者プロフィール:中川大河】
競馬歴30年以上の競馬ライター。競馬ブーム真っただ中の1990年代前半に競馬に出会う。ダビスタの影響で血統好きだが、最近は追い切りとパドックを重視。「日刊SPA!」「SPAIA競馬」などで記事を執筆中。

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