
年の瀬のグランプリ・有馬記念は、名馬がそろう一方で番狂わせも少なくない。
昨年も5番人気のレガレイラが勝利を収め、10番人気シャフリヤールと波乱の決着だった。
そこで今回の企画では、1990年以降の有馬記念で3着以内に入ったのべ105頭のうち、単勝オッズが高かった5頭をランキング形式で紹介していく。[4/5ページ]
第2位 1996年マイネルブリッジ
3着(14番人気、119.9倍)
時はサンデーサイレンス旋風が吹き荒れていた1996年。偉大な大種牡馬の初年度産駒は今の年齢表記で充実の4歳を迎えていた。
初年度からフジキセキ、ジェニュイン、タヤスツヨシらがG1ウイナーとなり、1995年のクラシックを席巻。サンデーサイレンスかそれ以外かとさえ言われる時代に突入していた。
そんな中、フジキセキらと同世代のライバルとして早くから頭角を現したのがマイネルブリッジだった。同馬の父はルション。のちにウオッカの母の父として名を広めたが、産駒の出世頭が「マイネル軍団」の当馬であった。
3歳春に当時G2のNHK杯を制し、その年の秋には福島記念も制したが、G1では明らかにパンチ不足という成績を残していた。4歳秋も天皇賞・秋で最下位17着に敗れ、有馬記念でも14頭立ての14番人気。単勝オッズは119.9倍という人気薄だった。
同年の有馬記念で1番人気に支持されたのは、8か月前の天皇賞・春を完勝したサクラローレルだった。春秋連覇を狙った天皇賞・秋はバブルガムフェローの3着に敗れていたが、得意の中山なら巻き返しは必至とみられていた。
そして実際にサクラローレルは、好位追走から危なげなく抜け出してG1・2勝目をゲット。2着のマーベラスサンデーにつけた着差は2馬身半だった。そして、さらにそこから半馬身差の3着に入ったのがマイネルブリッジである。
レースを振り返ると、伏兵のカネツクロスがハナを切る展開。これを2番人気のマヤノトップガンと3番人気のマーベラスサンデーが追いかけ、ライバルを前に見ながらサクラローレルが中団からレースを進めだ。
そんな中、マイネルブリッジと坂本勝美騎手(当時)は、内に潜り込んでサクラローレルのすぐ前に位置。4番手という絶好のポジションで脚を溜めていた。
残り600mを切って、上位人気馬が外々を通りながら位置を押し上げていく。一方、ラチ沿いを進んだマイネルブリッジは虎視眈々と前が開くのを待っていた。
最後の直線を迎え手応え十分の坂本騎手。前が詰まり、仕掛けが若干遅れるロスがあっもののが、進路を見つけると、前年の覇者マヤノトップガンを交わして3番手に浮上。
ゴール前でいち早く抜け出したサクラローレルの背後で、マーベラスサンデーとの2着争いに持ち込んだが、最後は僅かに及ばなかった。
それでも引退するまで9度挑戦したG1で唯一の掲示板となった有馬記念で3着の激走。複勝は1930円の高配当をつけた。もし三連系の券種がある時代なら、間違いなく大万馬券の立役者となっていただろう。



