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【無敗のまま引退したG1馬5選】“タラレバ”を語りたくなる…もし、もっと走っていたのなら

text by 中西友馬
1976年朝日杯3歳Sを勝ったマルゼンスキー
1976年朝日杯3歳Sを勝ったマルゼンスキー

歴代最強馬という議題で競馬ファンが話すとなると、さまざまな名馬が登場することが予想される。
例えば、イクイノックスを挙げれば「それを倒したドウデュースのほうが強い」という意見もあるだろう。
そこで今回は、誰にも負けたことのない馬に注目。無敗のまま現役を引退したG1馬を国内外で5頭ピックアップし、順に紹介する。[1/5ページ]

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①マルゼンスキー(8戦8勝)

 最初に紹介する馬は、マルゼンスキー。「賞金もいらない、大外枠でいい、他の馬に迷惑をかけないから出走させてほしい。」と、マルゼンスキーの主戦を務めていた中野渡騎手がダービー前に語ったのは有名な話である。

 それほどまでにマルゼンスキーの能力に惚れ込んでいたわけだが、それもそのはず。この時点でマルゼンスキーは、デビューから6戦6勝と負けなし。

 さらに、朝日杯3歳S(現朝日杯FS)で2着に2秒2もの差をつけてレコード勝ちを収めるなど、圧勝続きだったのである。

 それでもマルゼンスキーは持込馬であったため、当時のルールではダービー出走は叶わなかった。結局マルゼンスキーは、八大競走の中で唯一出走できる有馬記念と、八大競走に含まれていない宝塚記念しか大目標とするレースがないという状況に陥った。

 さらに、それ以外のレースでも持込馬の出走できる混合競走は少なく、また、マルゼンスキーが強すぎるために他馬の回避が続出し、競走不成立となるレースもあった。

 そんな調整が難しい状況の中でも、マルゼンスキーは出走したレースに勝ち続け、有馬記念のファン投票でも年長馬であるテンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスのいわゆる「TTG」に次ぐ、第4位に選ばれた。

 にも関わらず、有馬記念直前に屈腱炎を発症。ずっと目標にしてきた有馬記念も走ることができず、マルゼンスキーは現役を引退した。通算成績は8戦8勝、2着馬につけた着差の合計は、60馬身以上という驚異的なものであった。

 しかし、マルゼンスキーがターフを去って11年が経った1988年、マルゼンスキー産駒のサクラチヨノオーがダービー制覇を達成。10年以上の時を超え、ダービーへの出走が叶わなかった父の無念を、息子が晴らした形となった。

 中野渡騎手が語ったように、「もし大外枠でダービーに出走していたらどうなっていたか?」や、脚元に問題がなく、「もし有馬記念でTTGと戦っていたらどうなっていたか?」など、さまざまな「もし」が考えられるマルゼンスキー。

「競馬にタラレバは禁物」とはよく言うが、当時をリアルタイムで見ていた人たちの話を聞いてみたい議題である。

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