日本競馬の最高峰・ジャパンカップ。2025年現在、44回の開催で牝馬が勝利したのはわずか10度。そのうち、日本の牝馬でこの大舞台を制したのは、たったの5頭しかいない。今回は歴史に名を残した彼女らが制したジャパンカップをひとつずつ取り上げ、じっりと紹介していきたい。[4/5ページ]
④2015年 ショウナンパンドラ

ウオッカからブエナビスタ、そしてジェンティルドンナ。牝馬のスターホースがジャパンカップを制するシーンが相次ぎ、2014年にはハープスターが3歳牝馬ながら凱旋門賞に挑戦するという「オンナは強し」の時代が続いていた。
そのハープスターと同世代のショウナンパンドラもまた、その時代の中心にいた1頭だった。
この年のジャパンカップは人気こそ宝塚記念、天皇賞(秋)を連勝したラブリーデイが1番人気だったものの、圧倒的に抜けた存在はなし。
どの馬にも逆転の可能性があるといえるメンバー構成であった。そのなかでショウナンパンドラは9.2倍の4番人気。
前年の秋華賞を勝利しているのに加え、牡馬相手の宝塚記念で3着に激走したことを評価されたか、牝馬では1つ下の牝馬二冠馬ミッキークイーンに次ぐ支持を受けていた。
スタートを五分に出て、中団からの競馬となったショウナンパンドラ。逃げたカレンミロティックが1000mを59秒3というハイペースで飛ばしたことでレースは後方有利かつ消耗戦の展開に。
そしてそれに輪をかけるように、勝負所で大外からゴールドシップが進出。これによりこのレースはいつものジャパンカップとは違う、各馬の持久力が試される1戦に姿を変えた。
そんななか、ショウナンパンドラに跨る池添謙一騎手はラブリーデイとサウンズオブアースの間に道を見出し、相棒を誘導。
ごちゃつく馬群も意に介さずにじわじわと脚を伸ばすと、最後はラストインパクトを交わして勝ち切った。
あれほどの消耗戦、しかも直線で接触する不利もありながら上り3ハロンはメンバー中2位タイの33秒9。
そんな激戦を勝ち切ったショウナンパンドラはまるで混戦の馬群に溶け込み、最後の最後に存在感を出す強者のよう。ギリギリのシーンでこそ真の力を発揮する名馬であった。



