【ジャパンカップを制した牝馬5選】牡馬をも圧倒…革命を起こした美しき女王たち
日本競馬の最高峰・ジャパンカップ。2025年現在、44回の開催で牝馬が勝利したのはわずか10度。そのうち、日本の牝馬でこの大舞台を制したのは、たったの5頭しかいない。今回は歴史に名を残した彼女らが制したジャパンカップをひとつずつ取り上げ、じっりと紹介していきたい。[1/5ページ]
①2009年 ウオッカ

牝馬として64年ぶりの日本ダービー制覇を飾ったウオッカ。特に東京競馬場では圧倒的な安定感を誇り、府中の芝で開催されるG1レースをすべて制覇するという前人未到の記録も打ち立てた。そのなかで最後に勝利したのがジャパンカップである。
2009年当時、牝馬によるジャパンカップ勝利は1989年のホーリックスを最後になく、日本調教馬は1998年のエアグルーヴが2着に入線したのが最高の成績。
ウオッカも3歳時から挑戦を続けていたが、2年連続で惜敗に終わっていた。
さらに秋の毎日王冠、天皇賞(秋)と連敗し、オーナーの谷水雄三氏から「距離を縮めてマイルチャンピオンシップに行かないか」という提案もあったという。
だが、ウオッカを管理する角居勝彦師は「諦め切れない。距離は持つと思うから挑戦したい」とオーナーに直談判。
そして、調教の仕方から担当、鞍上まですべてを一新し、3度目の正直を目指してジャパンカップへ臨んだ。
この年のジャパンカップは国内の強豪はもちろん、海外からもブリーダーズカップ・ターフを連覇したコンデュイットが参戦し、非常に強力なメンバーが顔を揃えていた。
そのなかでウオッカは1番人気に推されたが、2番人気のオウケンブルースリとは差のないオッズだったことからも決して抜けた評価を受けていたわけではない。
それでも角居師が「日本の看板馬として勝たなければ」と語っていたように、同じ舞台で3回も負けるわけにはいかない想いがあった。
レースはこれまでウオッカの手綱を取っていた武豊騎手が跨るリーチザクラウンがややかかり気味で先頭に立って引っ張る。
一方、ここ2戦で前進気勢の強かったウオッカは、初コンビのクリストフ・ルメール騎手がうまく呼吸を合わせてしっかり折り合う姿を見せていた。
そして勝負所、ルメール騎手が追い出すと、ウオッカは前を行くエイシンデピュティとヤマニンキングリーの間を一瞬で突き抜け、後続をみるみるうちに離して行った。
だがそこへただ1頭、オウケンブルースリだけがものすごい勢いで迫ってくる。一時はセーフティーリードに見えたその差はジリジリと詰まり、最後は鼻面を合わせてフィニッシュ。
それでもウオッカはわずか2センチだけ残して、先頭で栄光のゴール坂を駆け抜けていた。
この勝利により「府中の芝G1完全制覇」という大偉業を成し遂げたウオッカ。レース後、調教を付けた岸本敦彦助手は涙し、角居師にも熱いものがこみ上げてきたという。
ウオッカが作り上げた不滅の大記録の最後のピースは、ホースマンが心血を注ぎ、覚悟を決めた執念の結実により埋まったといえるだろう。



