オグリキャップ ~日本競馬を最も盛り上げたアイドルホース、奇跡のストーリー~
オグリキャップ(Oguri Cap)
オグリキャップは日本競馬を最も盛り上げたサラブレッドと言っても過言ではないだろう。笠松から中央G1制覇まで駆け上がったストーリーは数十年経った今でも映像化されるほどだ。今も語り継がれる“灰色の英雄”の伝説を回顧する。
プロフィール
性別 | 牡馬 | |
父 | ダンシングキャップ | |
母 | ホワイトナルビー | |
生年月日 | 1985年3月27日 | |
馬主 | 小栗孝一→佐橋五十雄→近藤俊典 | |
調教師 | 鷲見昌勇(笠松)→瀬戸口勉 | |
生産者 | 稲葉不奈男 | |
通算成績 | 32戦22勝【22-6-1-3】 | |
獲得賞金 | 9億1251万2000円 | |
主な勝ち鞍 |
1988年 有馬記念 1989年 マイルチャンピオンシップ 1990年 安田記念 1990年 有馬記念 |
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受賞歴 |
1988年 最優秀3歳牡馬 1989年 JRA賞特別賞 1990年 JRA賞年度代表馬、最優秀4歳以上牡馬、NARグランプリ特別表彰馬 1991年 JRA顕彰馬選出 |
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産駒成績 | 産駒デビュー年:1994年 | |
通算重賞勝利数:0勝 | ||
通算G1勝利数:0勝 | ||
代表産駒 | アラマサキャップ(1995年 クイーンステークス2着) |
“地方競馬の星”オグリキャップ伝説
ディープインパクト、キタサンブラックなど競馬に詳しくない人でも一度は耳にしたことがある馬は、押しなべて名馬だ。もちろん、オグリキャップもそのうちの一頭だろう。彼は「地方馬が中央馬を倒す」という日本人が好む這い上がりストーリーを体現した馬だ。
彼の歩んできた馬生を振り返っていこう。
オグリキャップの物語は岐阜県にある笠松競馬場から始まる。デビュー5戦目から重賞を含む8連勝をあげ、もはや地方には敵なしということは明白であった。そして、鳴り物入りで中央競馬へ移籍することになる。
移籍初戦から阪神競馬場で行われた重賞のペガサスステークス(GⅢ)に出走。2番人気であったが、挨拶代わりと言わんばかりに3馬身差の勝利を中央競馬に叩きつけた。続く、重賞の毎日杯も勝利し、いざ皐月賞へ。と、行きたいところだったが、出走とはならなかった。理由はデビュー当初は中央に移籍することは考えておらず、クラシックに登録していなかったためである。
しかし、オグリキャップの快進撃は続く。ニュージーランドトロフィー4歳ステークスなどに出走し、GⅡで3連勝。その全てのレースで単勝1.7倍以下という人気であった。「彼ならGⅠを獲るだろう」というファンの期待を背負い、次戦はGⅠ天皇賞(秋)へ。
ここで立ちはだかったのが、同じ芦毛のタマモクロス。ここまで7連勝を飾っており、現役最強との呼び声も高かった馬だ。天皇賞(春)、宝塚記念と連勝しているタマモクロス対”地方からのたたき上げ”オグリキャップの対決は耳目を集めた。
ここでも1番人気はオグリキャップとなり、2番人気にはタマモクロスが続いた。レースでは、直線先に抜き出したタマモクロスを後ろからオグリキャップが懸命に追いかける形となった。しかし、最後は1馬身1/4差で敗戦。悔しいGⅠデビューとなった。続くジャパンカップでタマモクロスに雪辱を果たしたいところであったが、結果3着と再び敗戦。
年末の有馬記念では、引退するタマモクロスと三度目の対決となった。最後はライバル2頭のデッドヒートとなるが、先に抜け出していたオグリキャップが1/2馬身差で勝利して、悲願の初GⅠ制覇を成し遂げた。
動向が注目された5歳の春シーズンだったが、繋靭帯炎などのケガが重なり全休となった。秋に復帰して、まずは産経賞オールカマーを勝利。続く毎日王冠では、地方出身という同じ境遇のイナリワンとの初対決となった。このレースでは、辛くもハナ差で勝利を収める。
そして前年2着と涙を飲んだ天皇賞(秋)の舞台へ。しかし、最後の直線で猛然と追い上げるも、先に抜け出したスーパークリークにクビ差及ばずの2着となった。その後はマイルチャンピオンシップ、ジャパンカップ、有馬記念という過酷なローテーションを辿っていく。
1戦目のマイルチャンピオンシップでは、先に抜け出したバンブーメモリーを最後の最後にハナ差でとらえ、1着を勝ちとる。2戦目のジャパンカップには連闘で出走することとなった。このレースではニュージーランドのホーリックスが芝2400mの世界レコードで勝利するなか、オグリキャップはクビ差2着という連闘とは思えないような信じられない走りを見せた。3戦目の有馬記念は、関係者も疲れがあったと認めるほどのコンディションで走り、5着に敗れた。
6歳になったオグリキャップは安田記念から始動する。2.3番手を追走し、直線では早くも抜け出すとそのまま先頭でゴール。当時のコースレコードで勝利し、今年もこの馬の年になるかと思われた。しかし、ここからせきを切ったように凡走を繰り返す。宝塚記念から3連敗を喫し、「もうオグリキャップは終わった」という声まであがるようになった。
そして、陣営は引退レースとして有馬記念を選ぶ。アイドルホースが引退するということで中山競馬場には17万7779人が集まった。当日は4番人気を背負ったが、”期待”というより”祈り”に近い。葦毛のアイドルの勇姿を最後に見たいという。
6番手でレースを進め、3コーナーから徐々に進出開始する。直線で先頭に躍り出たオグリキャップは懸命に末脚を伸ばしゴールへ向かう。メジロライアンが後ろから追い込んでくるが、3/4馬身差で1着に入線したのはオグリキャップだった。
彼の物語は大団円で終わった。中山競馬場に響き渡る大歓声の“オグリコール”を残して。
(文●沼崎英斗)
※文中の馬齢は当時の表記