②ジャングルポケット
1990年代後半から2000年代前半にかけて「トニービン産駒は府中に滅法強い」という格言が競馬ファンの間では有名だった。
サクラチトセオーやエアグルーヴが天皇賞(秋)を制したことによってその話が徐々に浸透し、ジャングルポケットの活躍で定説になったと言っても良い。
東京では3戦3勝ながら、同じ関東の中山では3戦全敗という成績だったジャングルポケットはまさに「府中の申し子」。
1.4倍の断然人気に応えて楽勝した共同通信杯、“チーム・フジキセキ”の悲願を叶えた日本ダービーの走りも凄かったが、彼の真価が見えたのは3歳時のジャパンカップではないだろうか。
ここでは当時の王者テイエムオペラオーが抜けた1番人気となっており、ジャングルポケットはそれに続く2番人気。メイショウドトウに敗れた宝塚記念以降、勝利を掴めていない王者が復活の凱歌を上げるのか、それともダービー馬による世代交代はなるかという点に注目が集まっていた。
ゲートが開くとテイエムオペラオーが先行し、ジャングルポケットは後方から。いつも通りの競馬を貫いた2頭のうち、先に抜け出したのはテイエムオペラオーと和田竜二騎手。
馬上の相棒が出すGOサインに応えて後続を引き離す王者だったが、馬群からただ1頭、ジャングルポケットだけが猛追してくる。その豪脚はいったんセーフティーリードに見えた差を一完歩ずつ詰めていき、最後の最後、ジャングルポケットがクビ差だけ前に出たところがゴール。
史上初、ダービーとジャパンカップの同年制覇という偉業達成に加え、世代交代の文字が浮かんだ瞬間だった。