③1998年(勝ち馬セイウンスカイ)
京都芝3000mという長距離の舞台で行われる菊花賞は、当然のことながらスタミナを要求される。そのため各馬は、最後の直線までなるべくスタミナを温存させたいと考える。
そんな中、序盤からハイペースを刻んで3000mを逃げ切るという、菊花賞の鉄則からかけ離れた戦法で勝利を掴んだ馬がいた。それが、1998年の菊花賞を制したセイウンスカイである。
この年の1番人気は、ダービー馬スペシャルウィーク。たしかにセイウンスカイは、ダービーではスペシャルウィークに完敗であったが、秋初戦の京都大賞典では古馬勢を撃破して勝利。
しかもメジロブライトやシルクジャスティス、ステイゴールドといった古馬一線級の馬たちを相手にしての勝利であった。
京都大賞典の内容から、セイウンスカイの評価が上がっても良さそうなものだが、単勝1.5倍という断然の1番人気はスペシャルウィーク。セイウンスカイは離された2番人気であった。
もちろんダービー馬のスペシャルウィークが1番人気になること自体は不思議なことではないが、セイウンスカイがスペシャルウィークに勝てないとする理由のひとつに、セイウンスカイが逃げ馬であるということが挙げられていた。
同時の菊花賞の定石は、「菊花賞は逃げたら勝てない」というもの。実際に菊花賞の逃げ切り勝ちは、1959年のハククラマ以来、長らく成し遂げられていなかった。そのことが、スペシャルウィークの断然人気に拍車をかけていた。
レースは、セイウンスカイが後続を離す逃げ。2ハロン目から11秒台のラップを刻み、前半1000mを59秒6のハイペースで通過する。
後続各馬はこの激流に巻き込まれたくないと競りかけることはしなかったが、1000m通過からは一転、13秒台のラップを織り交ぜながら、中間の1000mを64秒3のペースに落として息を入れる。
この時点でも5馬身以上のリードを保っていたセイウンスカイは、早めのスパートで再び11秒台のラップまでペースを上げてセーフティーリードを築き、最後の1000mを59秒3でまとめて勝利した。
この緩急は、中団に構えていた2着馬スペシャルウィークの脚を削ってスパートのタイミングをも狂わせ、3馬身半もの差を生み出した。
皐月賞からコンビを組む、横山典弘騎手の完璧なエスコートに応えたセイウンスカイは、これまでの定石を覆して39年ぶりとなる菊花賞の逃げ切り勝ち。しかも勝ち時計は、当時のレースレコードとなる3分03秒2であった。
セイウンスカイの逃げ切り勝ちは、鞍上の横山典弘騎手による緩急自在なペースメイクにより生み出された、歴史的な勝利であった。