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2011年日本ダービー(写真左ウインバリアシオン、右オルフェーヴル)
2011年日本ダービー(写真左ウインバリアシオン、右オルフェーヴル)

③オルフェーヴルvsウインバリアシオン

対戦成績

月日 レース オルフェーヴル ウインバリアシオン
2011 2月6日 きさらぎ賞(G3) 3着 4着
2011 5月29日 東京優駿(日本ダービー)(G1) 1着 2着
2011 9月25日 神戸新聞杯(G2) 1着 2着
2011 10月23日 菊花賞(G1) 1着 2着
2012 4月29日 天皇賞(春)(G1) 11着 3着
2012 6月24日 宝塚記念(G1) 1着 4着
2013 12月22日 有馬記念(G1) 1着 2着

 史上7頭目となる三冠馬であり、凱旋門賞2年連続2着のオルフェーヴル。そしてそのライバルは、ウインバリアシオン。対戦成績を先に言うと、オルフェーヴルの6勝1敗。これだけ聞くと、ウインバリアシオンが一矢報いたようにも思えるが、その1勝はオルフェーヴルが3歳以降で唯一馬券圏内を外した、2012年の天皇賞(春)。先着したと言っても、ウインバリアシオンが3着でオルフェーヴルが11着同着であった。

 それ以外のレースではオルフェーヴルが全て先着しており、圧倒的な力差があったと言っても過言ではないかもしれない。それでもこの2頭がライバル関係であることを納得する競馬ファンもまた、多いことだろう。

 この2頭の初対決は、実はダービーではない。2011年のきさらぎ賞が初対決で、そのときの1番人気はウインバリアシオンであった。しかし結果は、オルフェーヴル3着に対して、ウインバリアシオンは4着。クラシック前に行われる、数あるG3のひとつで3着と4着だった両馬が、世代の頂点をかけるレースでワンツーを果たすとは、このとき誰も思っていなかったはずである。

 その後、オルフェーヴルは皐月賞を制覇。ウインバリアシオンも青葉賞を勝利し、ダービーの舞台で再び両馬は相見えることとなる。1冠目の皐月賞を制したオルフェーヴルは1番人気、対するウインバリアシオンは、トライアルの青葉賞勝ち馬にも関わらず、10番人気という低評価。きさらぎ賞ではウインバリアシオンが1番人気だったことを考えれば、約4ヶ月の間に両馬の立場は大きく変化していた。

 そしてそのダービーでも、オルフェーヴルが勝利。ウインバリアシオンは1馬身3/4離された2着となったが、その2頭の後ろには7馬身という大きな差が開いていた。

 その後、神戸新聞杯と菊花賞でもオルフェーヴルが勝利。ともに2馬身半後方の2着にはウインバリアシオンがいた。
4連敗で迎えた5度目の対決は、先述した天皇賞(春)。ウインバリアシオンから見れば初めてオルフェーヴルに先着を果たしたわけだが、3着に敗れてG1タイトルには手が届かなかった。

 続く宝塚記念では、オルフェーヴルが復活の勝利。ウインバリアシオンは4着に敗れた上に、その後に屈腱炎を発症して長期休養を余儀なくされた。その間、オルフェーヴルは2年連続で凱旋門賞2着となるなど、日本のトップを走り続けていた。

 そして、屈腱炎を発症してから1年5ヶ月が経った、2013年の11月。オルフェーヴルの現役引退となる有馬記念まで1ヶ月を切った中、ウインバリアシオンはターフに戻ってきた。

 復帰戦の金鯱賞は+30キロの馬体で3着。無事に復帰を果たしたウインバリアシオンの次戦は、オルフェーヴルの引退レースとなる有馬記念。正真正銘、最後の直接対決は、オルフェーヴルの8馬身差圧勝で幕を閉じた。

 しかし、屈腱炎からの復帰2戦目となるウインバリアシオンは、離されながらも懸命に2番手を確保。まるで、オルフェの後ろは自分しかいないとアピールするかのような、2着死守であった。

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