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2003年ジャパンカップを制した時のタップダンスシチー
2003年ジャパンカップを制した時のタップダンスシチー

④タップダンスシチー

~2003年 ジャパンカップ~

 これまで取り上げてきた3頭の“圧勝”レースは、全て大差勝ちながらG1レースではなかった。

 しかし4頭目のタップダンスシチーの“圧勝”レースは、2003年のジャパンC。G1であることはもちろん、国内のトップホースに加えて、海外から9頭もの猛者を迎えた一戦での一人旅であった。

 そもそもタップダンスシチーは、3歳3月という遅いデビュー。それでもデビューからわずか2ヶ月で出走した京都新聞杯で、のちのダービー馬アグネスフライトの3着に入り、素質の片鱗を見せていた。

 しかし、その素質が花開くまでは時間がかかり、重賞初制覇は5歳9月のチャレンジカップ。その後、有馬記念2着、宝塚記念3着など、G1戦線でも上位進出常連となって迎えたのが、2003年のジャパンC。

 断然の1番人気(単勝オッズ1.9倍)は、前走で天皇賞(秋)連覇を達成したシンボリクリスエス。同年の春2冠馬ネオユニヴァースが2番人気(単勝オッズ7.0倍)で続き、フランスのアンジュガブリエルが3番人気(単勝オッズ12.1倍)。G1未勝利のタップダンスシチーは、4番人気(単勝オッズ13.8倍)に甘んじていた。

 雨こそ止んでいたが、不良に近い重馬場でレースは行われた。最内枠からポンと好スタートを決めたタップダンスシチーは、迷いのない逃げを打つ。ジリジリと後続を引き離していき、向正面では2番手のザッツザプレンティに10馬身ほどのリードを作る。

 そのとき1番人気のシンボリクリスエスは中団前あたり、2番人気のネオユニヴァースは中団後方寄りからレースを進めていた。

 4角ではザッツザプレンティとの差が5馬身ほどまで詰まってきたタップダンスシチーの逃げであったが、直線残り300mあたりから再び差が広がり始める。

 2番手を死守する態勢に入ったザッツザプレンティに、内をワープしたネオユニヴァースと外に持ち出したシンボリクリスエスが迫るも、2番手争い。最終的に9馬身の差をつけてタップダンスシチーが逃げ切った。

 2着はザッツザプレンティが粘り込み、シンボリクリスエスは3着に敗れた。

 勝ったタップダンスシチーはその後、8歳まで現役生活を続けてG1・2勝。外国産馬の歴代獲得賞金ランキングでは、2025年現在もトップに位置している。

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