【スプリンターズS名勝負①】サクラバクシンオーやタイキシャトルなど名だたる“短距離王”が登場
1967年から、中山芝1200mの重賞として行われているスプリンターズステークス。施行時期こそ何度か変わってきたが、改修工事の関係で東京と新潟で行われた年以外は、常に同じ条件で行われている。最速スプリンター決定戦として数々の名馬が勝利を収め、幾多の名勝負が繰り広げられてきた電撃の6ハロン。その中から厳選した10のレースのうち、まずは1990年代〜2000年代前半の5つを取り上げて紹介する。
①1994年(勝ち馬サクラバクシンオー)
1990年にG1に格上げされたスプリンターズS。その4年目の1993年から、格上げ後初の連覇を果たしたのがサクラバクシンオーであった。
サクラバクシンオーは4歳(現3歳)の1月という遅めのデビューであったが、ダート1200mの初戦をスピードの違いで5馬身差の逃げ切り勝ち。
その後、1400m以下のレースでは勝利、1600m以上のレースでは敗戦を繰り返し、1200mのクリスタルカップで重賞初制覇。
4歳の年末には、1度目のスプリンターズSに挑戦。果敢にハナを切るも、同じ4歳馬のニシノフラワーの6着に敗れて、デビューから続いた1400m以下での連勝は5でストップした。
その後脚部不安で休養に入り、復帰したのは5歳の秋。復帰後は逃げ一辺倒のレースではなく、好位から抜け出す競馬ができるようになっていた。
そして迎えた2度目のスプリンターズS。同年の安田記念覇者ヤマニンゼファー、前年のスプリンターズS覇者ニシノフラワーを抑えて優勝。このレースも3番手からの抜け出しであった。
翌年はマイルG1を制しての2階級制覇を狙うも、安田記念4着、マイルチャンピオンシップ2着と勝利することはできず。
そして引退レースとなった、3度目のスプリンターズS。前半600m32秒4の超ハイペースを4番手追走から抜け出すと、直線は独走。スプリント戦では決定的となる4馬身の差をつけて圧勝し、有終の美を飾った。
G1格上げ後初のスプリンターズS連覇を達成したサクラバクシンオー。1400m以下では12戦11勝、1600m以上では9戦未勝利という、まさに生粋のスプリンターであった。引退からかなりの年月が経った今でも、ファンに愛されている個性派である。