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イングランディーレなど後の天皇賞馬も輩出した金沢伝統の交流重賞【白山大賞典名勝負5選】

text by 中西友馬

1981年に金沢の重賞競走として創設され、1997年からはJRAとの交流重賞となった白山大賞典。交流重賞となったタイミングからは、金沢ダート2100mという舞台設定で、毎年秋に行われている。そんな白山大賞典の歴史の中から、5つのレースをピックアップして紹介する。

Kyoto City
1997年浦和記念を制したキョウトシチー

①1997年(勝ち馬キョウトシチー)

 最初に取り上げるのは、交流重賞として行われた初年度となる、1997年の白山大賞典だ。人気を集めたのは、いずれも重賞タイトルを持っているJRA勢の4頭だった。

 1番人気はキョウトシチー。前年の東京大賞典を含む、重賞4勝を挙げている実績馬であった。

 2番人気はウインドフィールズ。セントライト記念を勝利している芝の重賞馬で、前年からはダートのレースにも出走。ダートでの重賞タイトルこそなかったが、前走のエルムSでは強敵相手に3着と好走していた。

 3番人気はパリスナポレオン。3走前のマーキュリーCで重賞初制覇。地方の深い砂への高い適性を見せていた。

 そして4番人気はキソジゴールド。重賞2勝を誇る9歳(現8歳)のベテランで、その重賞2勝はいずれも、前出キョウトシチーを下してのものであった。

 このJRAから参戦している4頭が上位人気を固め、発走を迎えた。

 レースは、ウインドフィールズがハナを切り、パリスナポレオンとキョウトシチーは好位の後ろあたりを追走。キソジゴールドは後方集団で脚をためていた。

 しかし、先頭から最後方まで10馬身ないほどで、全馬一団のまま進んでいく。レースが動いたのは、2周目の向正面。後方からキソジゴールドが動き、それに反応するようにキョウトシチーも前へと上がっていく。

 キョウトシチーと同じような位置どりだったパリスナポレオンは後退し、前は逃げるウインドフィールズの外にキョウトシチーが並んで4角を回り、最後の直線へと向かう。

 直線に入ると、粘るウインドフィールズを交わしたキョウトシチーが独走状態。そのまま後続に4馬身の差をつけて快勝。苦しくなったウインドフィールズをキソジゴールドが交わして2着。さらに4馬身離れた3着が、ウインドフィールズとなった。

 勝ったキョウトシチーは重賞5勝目。翌年はドバイWC6着などを経て、再び白山大賞典に出走。人気に応えて、見事連覇を達成した。9歳(現8歳)まで息の長い活躍を続け、海外を含めて全国さまざまな競馬場を渡り歩いたキョウトシチー。走った競馬場はなんと、16場にものぼった。

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