④デルタブルース
春のクラシックには間に合わなかったものの、夏を越して力をつけたデルタブルース。秋の中山で行われた九十九里特別を制して菊花賞に臨むと、好位から一気に抜け出し、迫るホオキパウェーブを抑えてG1初制覇。鞍上の岩田康誠騎手(当時の所属は公営・兵庫)、管理する角居勝彦師も初となる、JRAのビッグタイトル獲得となった。
だが、古馬となって以降はステイヤーズSの勝ちが目立つ程度で、なかなか思うように勝ち星を積み重ねられない。そんな折、角居師は国外に彼の活躍の場を見出し、秋に僚馬ポップロックと共に豪州遠征を敢行。これがズバリハマった。
初戦のコーフィールドカップはトップハンデを背負いながら3着に健闘。最大目標であるメルボルンカップには時の欧州最強ステイヤーで、のちにゴールドカップ4連覇を成し遂げるYeatsを筆頭にかなりの好メンバーが顔を揃えていた。
しかし、デルタブルースは直線でポップロックと共に抜け出し、日本馬2頭で後続を全く寄せ付けない叩き合いに持ち込む。最後はデルタブルースがその競り合いを制し、日本調教馬として初めての南半球G1を勝利するという快挙を達成した。
馬上での勝利ジョッキーインタビューで岩田騎手は「He is a Super Horse!」と相棒を讃えていた。この勝利から20数年の時が経った2025年現在でも、このレースを勝利した日本馬が彼以外にいないことからも、彼のステイヤーとしての実力がうかがえるだろう。この勝利が評価され、デルタブルースは2006/2007年シーズンのオーストラリア最優秀ステイヤーに選出。これも2025年現在では彼以外に成し得ていない大偉業である。
結局、メルボルンカップが生涯最後の勝利となったデルタブルース。オープンクラスでの勝利は全て3000m以上の距離で挙げたという戦績から「2500mでも短い真打のステイヤー」と競馬ファンの間で噂もされていた。残念ながら種牡馬入りは叶わず、彼の血脈を後世に残すことは叶わなかったが、もし日本馬が再びメルボルンカップを制することがあれば、その時、人々は間違いなくデルタブルースの雄姿を思い出すだろう。