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1993年天皇賞(春)ライスシャワー(写真左)とメジロマックイーン(写真右)
1993年天皇賞(春)ライスシャワー(写真左)とメジロマックイーン(写真右)

②ライスシャワー

 メジロマックイーンがトウカイテイオーを下し、古馬中長距離路線の頂点に君臨していた頃、競馬界には新たなスターが誕生しようとしていた。その馬の名はミホノブルボン。デビューから6戦無敗で二冠を達成した彼は、秋の菊花賞でシンボリルドルフ以来となる無敗の三冠に挑戦する。ここを制し、次なる目標はマックイーンの待つ古馬戦線。そう思う人も多かっただろう。

 結果として翌年の天皇賞・春には、確かに前年の菊花賞馬が参戦してきた。だが、それはミホノブルボンではなく、ライスシャワー。無敗の三冠がかかったライバルを、当時の芝3000mの日本レコードで撃破して出走してきたのだ。そして過去2年、この舞台で誰にも1着は譲らなかったメジロマックイーンをも死闘の末下し、G1・2勝目を挙げた。そのタイムは3分17秒1。従来のレコードを1.6秒も更新しての勝利だった。

 その2年後、ライスシャワーは、挑戦者としてもう一度天皇賞・春に出走する。メジロマックイーンに勝利して以降、どこか不完全燃焼な走りが続いていたライスシャワーは勝てない時期が続き、怪我も重なって気づけば9連敗。この天皇賞に出走した18頭のうち、G1馬はライスシャワー1頭だったにもかかわらず4番人気だったというのが、この時の彼の評価を表しているといってもいいだろう。

 しかしライスシャワーと的場騎手はこのレースで、これまでの戦いでみせていた「ライバルたちをマークし、直線で叩き合いに持ち込んで交わす」戦法を捨て「2周目坂の頂上から仕掛けて先頭に立つ」という掟破りのロングスパートに出た。

 そしてその脚は鈍ることなく、彼らは直線に向いても後続の追撃を振り切りながら懸命に粘る。最後は突っ込んできたステージチャンプとほぼ同時にゴール坂を駆け抜けたが、わずかに10センチだけライスシャワーが先着。真のステイヤーにしかできない強い勝ち方で、あの天皇賞・春以来となる勝利を飾ってみせたのだった。

 のちに的場騎手は彼の強さを「普通の馬の場合は、京都の上りや下りになると力んでしまうので、ここでは力んじゃいけないんだぞ、と手綱を通じてなだめてやらなくてはならない。でも、ライスシャワーの場合はそうした必要がまったくない。ここでは、これだけ走ってくれと、伝えた分だけしか走らないし、余計なことは一切しない。それこそ、手綱で指示しなくてもこちらが思うだけで通じる、すばらしく賢い馬だった」と振り返っている。その素直かつひたむきな走りが、あの大逆転と復活劇を呼び込んだのだろうか。

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