【史上最強ステイヤー5選】2500mでも足りない?どこまでも走り続けた、伝説の“スタミナおばけ”たち
近年はスタミナ自慢の馬たちよりスピードに秀でた馬が増え、真に長距離戦を得意とする馬は年々減っているように感じられる。それでもなお、長距離戦は、人馬が駆け引きを重ね、持てる力を余すことなく発揮する舞台として、魅力に満ちている。今回は、そんな長距離路線で真価を発揮した「真のステイヤー」5頭を紹介する。
①メジロマックイーン
「ダービーよりも天皇賞を勝ちたい」と目標を掲げ、メジロタイヨウ(1969年秋)、メジロアサマ(1970年秋)、メジロムサシ(1971年春)でそのタイトルを掴んでいた北野豊吉氏。
その後、1967年に豊吉氏が創設したメジロ牧場の生産馬で初めて天皇賞を制したのが、メジロアサマ産駒のメジロティターン(1982年秋)だった。そして豊吉氏は彼の種牡馬入りに際し、「今度はティターンの仔で天皇賞を。父子3代制覇という夢を叶えさせてくれ」と牧場関係者に熱弁したという。間もなく豊吉氏は急逝し、彼が遺したこの言葉をメジロ牧場が目標としてから数年後に産まれた芦毛の牡馬こそ、メジロマックイーンであった。
4歳(旧齢表記)時には内田浩一騎手を背に菊花賞を勝ち、5歳初戦の阪神大賞典は新コンビの武豊騎手と共にレコードタイムで楽勝。勇躍、牧場の最大目標であった天皇賞・春に大本命として駒を進めることになる。のちに武騎手はメジロマックイーンの騎乗依頼を「もちろん嬉しかったけど、それ以上にエラい馬を任されちゃったな、という想いが強かった」と振り返っている。
それほど、豊吉氏の遺言は重いものだったのだろう。しかもこの年は、稀代のアイドルホースであるオグリキャップが引退した直後。彼の引退から間を置かずして現れた芦毛馬に、新たな時代の到来を期待した人も少なくなかったはずだ。その重圧は想像に難くない。
しかし、そんなプレッシャーを一切感じさせないまま、メジロマックイーンと武騎手は天皇賞・春を当時のレコードタイとなる2馬身半差で圧勝。日本競馬史上初の「父子3代による天皇賞制覇」という、メジロ牧場、そして先代の豊吉氏にとっての悲願を成し遂げた彼らの姿は不思議なほどに落ち着いていた。
そして翌年、今度は1個下のライバルであるトウカイテイオーとの戦いの舞台となったこのレースでも、4コーナーで脚が上がり苦しむテイオーを尻目に、マックイーンは楽々と抜け出してレース史上初の連覇を達成。これまで数多のステイヤーが挑み、成し得ることのできなかった大記録を、事も無げにやってのけてしまったのである。
2回目の天皇賞・春の出走前、大阪杯の調教時に「地の果てまででも走れそう」と話したトウカイテイオーの岡部騎手に対しての感想を求められた武豊騎手が「ならこっちは天まで駆けられますよ」と答えた話はあまりにも有名だ。
だが、全盛期のメジロマックイーンには確かにどれだけ長い距離を走ってもライバルを下して1着でゴールしてしまいそうな、そんな圧倒的な強さがあった。