90年代は伝説の名馬たちが制してきた伝統の一戦。3連覇した中山猛者も登場【オールカマー名勝負5選】
1955年に創設されたオールカマーは、その名の通り、出走馬に広く門戸を開いた競走として創設された。1986年から1994年までは「地方競馬招待競走」として行われており、当時数少ない、地方競馬所属馬も出走できるレースであった。施行条件に関しては、創設当初は中山芝2000m、1984年からは現在の中山芝2200mで行われており、1995年からはG2格付けとなっている。そんなオールカマーの歴史の中から、5つのレースをピックアップして紹介する。
①1989年(勝ち馬オグリキャップ)
最初に取り上げるのは1989年のオールカマーだ。この年の注目は、約9カ月ぶりの復帰戦となるオグリキャップだった。前年の有馬記念でタマモクロス、サッカーボーイとの3強対決を制してG1初制覇を果たしたものの、その後は脚部不安から春を全休することとなっていたオグリキャップにとって待望の復帰戦であった。同年の宝塚記念6着のキリパワーも2番人気で出走していたが、オグリキャップはそれを圧倒する単勝1.4倍という断然の1番人気に推されて発走を迎えた。
レースではベルクラウンが先頭に立ち、ミスターブランディが2番手を追走。注目のオグリキャップは好位から進める形となった。早めに隊列が決まったことでペースは上がらず、前半1000mの通過は61秒6というゆったりとした流れだった。ペースが上がったのは残り800mを切ったあたりで、前の2頭が並んで後続を離し始め、5馬身ほどのリードを作った。しかし3番手以降も遅れてそのペースアップに対応し、前の2頭のリードが3馬身ほどまで縮まって最後の直線へと向かった。
直線に入るとミスターブランディがベルクラウンを競り落として先頭に躍り出たが、それも束の間であった。すぐ後ろの3番手まで浮上していたオグリキャップが一気に襲い掛かり、残り200mを切ったところでミスターブランディを差し切ると、後続に付け入る隙を許さず危なげない走りで快勝した。2着には中団から馬群の間を縫うように伸びたオールダッシュが入り、一旦先頭の場面もあったミスターブランディがその後ろの3着となった。
勝利したオグリキャップはその後、ここから3カ月強の間にオールカマーを含めて6戦をこなすという異例のローテーションを消化した。その中には、バンブーメモリーとの死闘を制したマイルCSや、そのマイルCSから連闘で挑み、自身も日本レコードで走りながらホーリックスにクビ差惜敗したJCも含まれている。
近年の競馬ではまずお目にかかれない過酷なローテーションをこなしながらも、6戦目の有馬記念5着以外は連対を外さなかったオグリキャップのタフさには、改めて感服させられる。