ダイワカーリアン ~田面木博公騎手との逃走劇~
2000年。20世紀末の競馬界はなんといってもテイエムオペラオーだ。年間8戦全勝、GⅠ5連勝はもはや破られない記録だ。オペラハウス産駒テイエムオペラオーが絶対王者に君臨する一方、年下のクラシックはサンデーサイレンス一色といっていい。
皐月賞、菊花賞エアシャカール、日本ダービーアグネスフライト。桜花賞チアズグレイスとサンデーサイレンスが席巻した。溜めて切れる競馬が主流であり、この年GⅠでの逃げ切りはゼロ。どんな形でも併せれば負けないテイエムオペラオーや切れるサンデーサイレンス産駒の前に苦杯をなめさせられた。
GⅠはしんどかったが、重賞の逃げ切りは10レースあった。このうち複数勝利をあげたのがダイワカーリアンとトゥザヴィクトリーだ。ここではダイワカーリアンを取り上げたい。
札幌記念と富士Sを逃げ切ったが、この年7歳(当時の表記は8歳)。東京新聞杯を番手から抜け出し勝利し、その後も順調にレースに出走した。
夏の函館UHB杯で久々にコンビを組んだ田面木博公騎手がきっかけだった。久々に逃げの手に出て、一旦スローに落とし、早めに自らペースを上げるという味な競馬で後続を振り切った。
ベテラン騎手と古豪の組み合わせにしかできない円熟味あふれる立ち回りは、2走後の札幌記念で再び輝きを放つ。GⅠ馬ファレノプシス、アドマイヤコジーン、シンボリインティに函館記念3着エアギャングスターと豪華メンバーが顔を合わせた北の大地での大一番。ダイワカーリアンは8番人気で出走した。
田面木騎手とダイワカーリアンの狙いは逃げ切りただひとつ。ニッポーアトラス、シンボリインディが追いかける中、向正面に達してもダイワカーリアンはペースを極端に落とさなかった。UHB杯ではペースを落としたが、札幌記念は違う。一定のペースを刻み続けることで、ライバルたちの末脚を削ぎ落す作戦だった。
一定のリズムを保ちながら、4コーナー手前からはラストスパートをかけ、好位勢を振り切り、直線入り口で後ろに決定な差をつけ、札幌の短い直線を逃げ切った。2着エアギャングスターとの差は2馬身。ギリギリ粘った逃げ切りではない。スタートからゴールまで一定のペースで走り抜く心肺機能の差をみせつけるような競馬だった。
7歳(当時8歳)にして覚醒。ダイワカーリアンと田面木博公騎手のコンビはなんともいえない哀愁と熟練の底力を解き放った。秋の富士Sも前後半800m46.8-47.1という絶妙なペースを刻み、ラスト600m11.7-11.4-12.2でまとめ、またも心肺機能の強さをみせつけた。
しかし翌年、アルゼンチン共和国杯のレース後、引き上げる途中の地下馬道で倒れ、命を落とした。ペースの押し引きに優れ、一定のペースを刻んでも最後まで勝負に持ち込める気持ちの強い逃げ馬だった。