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【逃げ馬の近現代史】激逃列伝──世紀末を駆け抜けた、2頭の個性派ホース

text by 勝木淳

1998年宝塚記念を制したサイレンススズカ
1998年宝塚記念を制したサイレンススズカ

サイレンススズカ以降の逃げ馬たち

 逃げるという行為は、一般的にはネガティブに見られがちだ。「辛いことから逃げるな」「逃げずに現実に立ち向かえ」などの言葉が、その象徴かもしれない。「逃げちゃダメだ」と呟くのは、本当は逃げたいという心の叫びであり、自分の本心に嘘をつく行為である。

 しかし、逃げるのは本当に悪いことなのだろうか。時代は移ろい、「逃げたいときは逃げていい」「無理に立ち向かって絶望するぐらいなら、一旦、逃げて心の平穏を取り戻そう」「本心に正直でいていい」など、逃げは人生を生き抜く手段として認められるようになり、ネガティブな印象は和らいだ。

 では、競馬の逃げはどうか。将来を見据えると「逃げて勝つのはよろしくない」そんな関係者の声もある。だが、逃げるのは最終手段であり、逃げなければいけない理由がある。

 たとえばムキになる気性のため、馬群だと平静を保てない。一頭で走らないと、最後まで集中できない。ライバルと同じ位置から脚を使っては、瞬発力の差が出てしまう。そう、逃げにもワケがある。

 そして、逃げにも様々な形がある。究極の競馬はスタートから先頭を走り、最後まで後ろに差を詰めさせない逃げともいわれる。レース中ずっと先頭を走れれば、もちろん、1着。ライバルたちに邪魔をされることもすることもない。「逃げはよろしくない」と言われつつも、究極は逃げだったりもする。逃げは奥深い世界だ。

 1998年金鯱賞、宝塚記念、毎日王冠と圧倒的な逃げを披露したサイレンススズカは究極の逃げに近かった。天皇賞(秋)で故障を発症しなければ、日本の競馬史は大きく変わっていたかもしれない。本稿は、あえてそんなサイレンススズカ以降の逃げ馬に焦点を当てる。

 サイレンススズカという究極の逃げ馬をひと区切りとし、2000年以降を日本競馬の近現代史と勝手に位置づける。逃げ馬の近現代史を掘り返すことで、その時代の競馬、逃げから見える競馬観をつかみ、往年の個性派たちを改めて愛でてみたい。

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