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2008年宝塚記念を制したエイシンデピュティ
2008年宝塚記念を制したエイシンデピュティ

③エイシンデピュティ

父:フレンチデピュティ
母:エイシンマッカレン
生年月日:2002年4月9日
性別:牡馬
毛色:栗毛
調教師:野元昭(栗東)
戦績:30戦10勝 [10-3-4-13]

 エイシンデピュティの父はフレンチデピュティで、母の父はWoodman。どちらの代表産駒もダートを中心に走る馬が多い血統である。おまけに同馬のデビュー戦はダートの1200mという条件だったことから、おそらく陣営もダート路線での活躍を狙っていたものと思われる。しかし、そんな馬がのちに春のグランプリを制する馬となるのだから、やはり競馬は単純な理論だけでは語れない面白さがあるのではないだろうか。

 初出走は3歳4月で、皐月賞が終わった1週間後という遅いデビュー。そこからしばらくはダート戦を使われていたが、1000万下(現・2勝クラス)への昇級をきっかけに本格的に芝へ転向し、地道に経験を積んでいく。そして、5歳の春に1600万下(現・3勝クラス)を脱出すると、そこから2連勝でエプソムカップを制覇し重賞ウィナーに。

 翌年の正月には京都金杯を制して重賞2勝目を挙げたかと思えば、春には大阪杯でダイワスカーレットの2着に健闘。時代の女王にはかなわなかったが、アサクサキングスやメイショウサムソン、ヴィクトリーといったG1馬相手には先着しており、確かな成長を感じさせる走りだった。

 続く金鯱賞でカワカミプリンセスを下し、宝塚記念へ臨んだエイシンデピュティはスタートから一気に飛び出して先頭へ。これがテン乗りであった内田博幸騎手は、キレる脚はなくとも先行すればしぶとく粘るエイシンデピュティの持ち味をしっかり活かせる作戦をとる。4ハロン目から一気にペースを落とし、12秒台のゆったりしたペースで道中を進め、勝負所で相棒を内ラチ沿いピッタリに誘導したのだ。

 そしてその作戦通り、エイシンデピュティは直線でしぶとく粘る。坂を上り切ってインティライミとメイショウサムソンが一気に迫ってきても決して先頭を譲らず、そのまま栄光のゴールへ。27戦目でのG1初制覇を決めた。

 宝塚記念の逃げ切り勝ちは、1998年のサイレンススズカ以来10年ぶりの勝利。そしてこれ以降、同レースの逃げ切りは2025年のメイショウタバルまで15年もの間出なかった。真の実力がなければできない勝ち方を、経験を力に変えたエイシンデピュティは見事にやってみせたのだった。

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