「牝馬時代」を切り開いた“ワガママ娘”の激走!極上の切れ味発揮で39年ぶり快挙【2005年宝塚記念】
「外からなんとスイープトウショウ、外からなんとスイープトウショウ!」「なんとスイープトウショウだ!」
ディープインパクトが無敗の三冠馬に輝いた2005年。春のグランプリで主役に躍り出たのは、4歳牝馬のスイープトウショウだった。ディープインパクトのダービー制覇から1か月後。第46回宝塚記念には、連覇を懸けた8歳馬タップダンスシチーや、前年の秋古馬三冠に輝いたゼンノロブロイなどG1ウイナー5頭が集結。そのうちの1頭が、前年の秋華賞を制したスイープトウショウだった。
その年の宝塚記念は、単勝オッズ1.9倍のタップダンスシチーと、同3.0倍のゼンノロブロイが2強を形成。ハーツクライが同18.3倍と、離れた3番人気に推されていた。
そんな中、安田記念2着から中2週で参戦したスイープトウショウは、単勝オッズ38.5倍の11番人気。なにしろ、3歳暮れまで牝馬限定戦にしか出走したことがなく、当時の古馬王道路線は牡馬が牝馬を圧倒していた時代だった。
グレード制が導入された1984年以降、2000m以上の牡牝混合の古馬G1を制したのは、1989年のジャパンCを制した外国馬のホーリックスと、1997年の天皇賞・秋を制したエアグルーヴの2頭のみ。つまり、牡馬の壁を破ったのは“10年に1頭”の超が付く逸材牝馬だけだったのだ。それまで、ダイナアクトレスやメジロラモーヌ、ヒシアマゾン、テイエムオーシャンなど少なくない名牝が挑戦したにもかかわらずである。
かくして迎えた05年の宝塚記念。伏兵といいつつ、スイープトウショウは最も注目される存在でもあった。なぜなら、デビュー来、気性難で馬場入りやゲートインを嫌がることが多く、レース時間を遅延させる常習犯だったから。この日もファンファーレとともに、他の14頭に先んじてゲート入りが行われた。陣営だけでなくスタンドのファンも“ワガママ娘の機嫌”に注目する中、スイープトウショウはあっさりとゲートの中に収まった。しかし、息つく間もなく、次の試練が待ち受けていた。
それがデビューから付きまとっていた出遅れ癖だ。ゲートの入りだけでなく出る方も大の苦手としていたスイープトウショウ。一線級の牡馬を相手に出遅れだけは避けたかった。全15頭がゲート入りし、前扉が開く直前、スイープトウショウは前脚をバタバタさせ落ち着かない様子。しかし、鞍上の池添謙一騎手はうまくなだめて、出遅れ回避に成功させていた。
今と同じく改修前だった阪神競馬場の芝2200mは、1コーナーまでの距離が長く、好スタートを決めたスイープトウショウと池添騎手は好きな位置を取れた。地方競馬所属のコスモバルクがハナを切る中、池添騎手が選択したのは、ちょうど中団8番手の外目。スイープトウショウとすれば、かなり前目の位置だった。
1000m通過は59秒9。前年にタップダンスシチーが早め先頭から押し切った時の58秒5に比べるとかなりゆったりとした流れといえた。