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ナリタブライアン 〜名馬伝説の頂点に立った「シャドーロールの怪物」〜

text by 沼崎英斗

ナリタブライアン(Narita Brian)

ナリタブライアンはトレードマークの白いシャドーロールから「シャドーロールの怪物」という愛称で親しまれた。その愛称の通り、圧倒的な強さを見せ、史上5頭目のクラシック三冠を達成。その勢いのまま、有馬記念で古馬をも一蹴してみせた。日本競馬史の最強馬論争で、常にその名前が挙がる一頭である。

NaritaBrian
第39回有馬記念を制した時のナリタブライアン

プロフィール

性別 牡馬
ブライアンズタイム
パシフィカス
生年月日 1991年5月3日
馬主 山路秀則
調教師 大久保正陽
生産牧場 早田牧場新冠支場
通算成績 21戦12勝[12-3-1-5]
獲得賞金 10億2691万6000円
主な勝ち鞍 1995年 皐月賞
1995年 日本ダービー
1995年 菊花賞
1995年 有馬記念
受賞歴 1993年 最優秀2歳牡馬
1994年 年度代表馬、最優秀3歳牡馬
1997年 JRA顕彰馬選出 

~シャドーロールと共に駆け抜けた怪物~

 1991年5月3日、北海道新冠町の早田牧場にて父・ブライアンズタイム、母・パシフィカスの間にナリタブライアンは誕生した。半兄には前年にクラシックで活躍したビワハヤヒデがおり、デビューした函館競馬場の新馬戦では、”ビワハヤヒデの弟”として注目されていた。レースは2番人気だったが2着に敗れる。しかし、陣営はナリタブライアンの強さに確信を持ったレースでもあった。

 2戦目は1200m戦にも関わらず、2着に9馬身差をつける異次元の強さを見せる。その才能と陣営の期待を背負いスター街道に乗っていくのかと思いきや、ナリタブライアンはある欠点を抱えていた。
それは、些細なことにも敏感に反応する臆病さだ。その性格ゆえレースに集中することができず、勝ちきれないことが何度かあった。陣営はその対策として、シャドーロールを装着させることにし、それがナリタブライアンという名馬を完成に近づけた。

 京都3歳ステークスに出走し、従来の3歳レコードを1.1秒更新するタイムで走りきり、早くもシャドーロールの効果が現れる。その勢いのまま朝日杯3歳ステークスに出走し、3.1/2馬身差をつけて3歳の頂点に輝いた。

 4歳になり、全て単勝オッズ1倍台での出走となったクラシックレースはまさに圧巻であった。皐月賞ではゴール前200mの地点から抜け出すとコースレコードを0.5秒上回る走破タイムで勝利。日本ダービーでは直線に入ってから大外に持ち出し、上がり最速で快勝した。三冠目の菊花賞では早めに抜け出すと、稍重だったにもかかわらずコースレコードを叩き出した。皐月賞は3.1/2馬身差、日本ダービーは5馬身差、菊花賞は7馬身差と同世代では敵なしの強さを見せ、史上5頭目のクラシック三冠に輝いた。年末の有馬記念でも単勝1.2倍の人気に応え、古馬を相手に3馬身差ちぎってみせた。もはや敵なしの状態であり、今後の競馬界はナリタブライアン中心に回っていくと誰もが思っていた。しかし、ナリタブライアンは怪我により本来の姿を失っていく。

 阪神大賞典に出走すると、2着に1.1秒差をつける7馬身差の勝利を見せつける。しかし、その後右股関節炎を発症して春シーズンを全休することになる。
10月にターフに戻ってきて天皇賞(秋)に出走するが、直線で伸びあぐねてしまい、まさかの12着という大敗を喫する。その後もジャパンカップ、前年勝利した有馬記念に出走するものの馬券内に沈んだ。第4コーナーまではいつものナリタブライアンなのだが、最後の直線に入ると競馬をやめるようになってしまったのだ。

 年が明け6歳になると「もうかつてのナリタブライアンの姿を見ることができないかもしれない」というファンの思いは広がり、1番人気ではなくなることも増えていった。6歳初戦の阪神大賞典では2番人気になり、1番人気は5歳のマヤノトップガンであった。マヤノトップガンは前年の菊花賞と有馬記念を制しており、ナリタブライアンと同じブライアンズタイムを父に持つスタミナ豊富な快速馬だ。

 いざレースが始まると、マヤノトップガンを見る形でレースを進め、直線では併せ馬のように2頭が抜け出す。後世に語り継がれるほどの壮絶なマッチレースの末に、アタマ差で勝ったのはナリタブライアンであった。かつては1着になることが当たり前であったのに、気づけば1年の月日が経過していた。この勝利に涙したファンも多く、阪神大賞典はGⅡにも関わらずナリタブライアンの象徴的なレースとして知られている。

 その後は天皇賞(春)2着、高松宮杯4着として現役引退をする。引退後は生まれ故郷であるCBスタッドで種牡馬生活を送るが、胃破裂により産駒を二世代しか残すことができなかった。

 もし5歳のときに怪我をしていなかったら、もし早逝してなかったら、などタラレバを言い出したらキリがないが、それほどの魅力と才覚を持つ怪物であったという褒め言葉なのだ。ターフも生涯もとてつもない速さで駆け抜けたナリタブライアン。日本競馬を代表する名馬の名が血統表から次第に消えていくことに、時の流れを感じずにはいられない。

※本文は旧馬齢での表記とする

【了】

(文●沼崎英斗

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