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ツインターボ ~誰にもかまわず逃げ続けた“伝説の大逃げ馬”。ファンの心を掴んだ逃走劇~

text by TOM

ツインターボ(Twin Turbo)

G1未勝利ながら、七夕賞とオールカマーでの圧巻の大逃げV2連発で不滅の名を刻んだツインターボ。中舘英二騎手との黄金コンビが生んだ、10馬身差の超ハイペース逃げは、26年経った今も競馬ファンの記憶に鮮やかに残り続けている。

Twin Turbo

プロフィール

性別 牡馬
ライラリッジ
レーシングジィーン
生年月日 1988年4月13日
馬主 黒岩晴男 → 武田二男
調教師 笹倉武久 → 秋葉清一(上山)
生産牧場 福岡敏宏
通算成績 35戦6勝【6-2-0-27】
獲得賞金 1億8670万8000円
主な勝ち鞍 1991年 ラジオたんぱ賞
1993年 七夕賞
1993年 オールカマー
受賞歴 なし

ファンの心を掴んだ“元祖”大逃げ馬

 かつてこれほどまでにファンの心を掴んだ逃げ馬がいただろうか。「大逃げ」のイメージがある馬は、海外G1でも勝利を収めたパンサラッサや、“悲劇の名馬”サイレンススズカなどが思い浮かぶ。しかしG1勝ちのないツインターボの大逃走劇は、その元祖といえるだろう。その名のごとくターボエンジン全開で重賞を三度制覇した個性派として、日本競馬界にひとつの伝説を作り上げた。

 1988年、福岡敏宏氏が運営する牧場に、父ライラリッジ、母レーシングジィーンとの間に一頭の鹿毛の馬が誕生し、後にツインターボと名付けられた。「名は体を表す」というが、小柄な馬体から繰り出される「大逃げ」は、見るものに名前通りのインパクトを残すこととなる。

 1990年に美浦の笹倉武久厩舎に預けられたツインターボは、なかなかゲート試験をパスできず、デビューは4歳の3月までずれこんだ。しかし迎えたデビュー戦では、見事に3馬身差の逃げ切り勝ちを収める。また、ツインターボにとっては、新馬戦の馬体重438㎏が生涯最高の重さという珍しい記録も作った。次の条件戦も逃げ切って連勝するも、日本ダービーを目指して出走した青葉賞では9着に敗れ、続く駒草賞でも5着に負けてしまう。

 最初の重賞勝ちとなったのは、続くラジオたんぱ賞(現・ラジオNIKKEI賞)であった。5番人気のツインターボは、スタート間もなくしてハナを奪い切ると、最後までスピードを落とすことなく1馬身半差で逃げ切った。

 秋はセントライト記念、福島記念で連続2着となった勢いで、初のG1となる有馬記念に挑戦した。ここでも同型のプレクラスニーやダイタクヘリオスらを抑え、ハナを奪い切り場内を沸かせた。しかし最終コーナーを回る頃には失速し、馬群に呑まれ14着に惨敗する。ツインターボの演出した淀みのないペースは、大波乱のレコード決着となったレース価値を高めるとともに、ファンの心を掴んだ。

 その後は、鼻出血により約1年の休養期間を経た92年の秋に、福島民友カップで復帰するも10着に敗れる。翌93年には、東の金杯、中山記念をともに6着、新潟大賞典は8着に敗れ、夏の福島名物重賞の七夕賞に出走することとなった。このときに初めてコンビを組んだのが中舘英二騎手だった。中舘は馬の行く気に逆らわない柔らかい騎乗が持ち味で、この出会いが伝説を生むこととなる。

 レースは、スタートから“ターボエンジン全開”で大逃げを打ったツインターボの独壇場となった。大外16番枠からスタートし、多数の先行馬を抑え先頭で最初のコーナーに突入する。ここまではいつものツインターボであったが、さらにスピードを上げ、前半1000mを57秒4の超ハイペースで通過した。後続との差はみるみる開き、3〜4コーナーを回る頃には5、6馬身のリードをとっていた。追い上げ態勢の各馬になし崩しに脚を使わせる一方で、自身のスピードは衰えない。結局、2着に4馬身もの差をつける圧逃劇で2つ目の重賞タイトルを獲得した。

 ツインターボは、続く秋のG1に向けた重要なステップレースのオールカマーでも魅せた。2か月前に七夕賞で披露した逃げ切り勝ちがフロック視されていたなか、前走同様、中舘騎手を背に再度の大逃走劇を演じる。いつもどおりにスタートからエンジン全開でハナを叩くと、向こう正面半ばでは後続との差を10馬身以上に差を広げていた。10馬身ほどのリードを保ったまま最終コーナーを回り、直線残り200m地点で後続馬が同じ脚いろになり、勝利は確定的なものとなった。G1馬のライスシャワーやシスタートウショウらを退けて、2着に5馬身もの差をつけ圧勝した。2戦続けて魅せた圧巻の大逃げVに、観衆は度肝を抜かれ、伝説となった。

 次の天皇賞(秋)では、みたびの逃走劇が期待され3番人気の支持を受けた。ここでも果敢な大逃げを打ち、ハイラップで飛ばすも、直線入り口で捕まると、しんがりの17着に大敗した。その後も中央で重賞レースに数戦出走したが、重賞連勝を飾った2戦がピークと思われるような敗戦を重ねる。ダート交流重賞の帝王賞への挑戦もあったが、出遅れもあってJRA所属時代では唯一、ハナを奪うことができないまま最下位の15着に沈んでいる。

 98年に早逝したツインターボだが、現在でも大逃げをする馬が登場するたび、ファンの記憶から蘇り、引き合いに出される。死して26年が経過した今もなお、ファンの心を鷲づかみにするツインターボの大逃走伝説は、人々の記憶の中に生き続けるだろう。

※文中の馬齢は当時の表記

(文●TOM)

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