②角田晃一(5度目の騎乗)
1994年、後の名種牡馬サンデーサイレンスの初年度産駒として登場したフジキセキ。朝日杯3歳Sを制し、年明け初戦の弥生賞も制覇した同馬に「三冠確実」や「ダービーは決まった」という声も多かった。だが、皐月賞を直前に故障を発症し現役を引退。ダービー制覇の夢は、夢のままで終わった。そのフジキセキに騎乗していたのが、当時デビュー6年目の角田晃一騎手である。
5年後、角田騎手が手綱を取ったジャングルポケットは、馬主と調教師ともにフジキセキと全く同じ陣容であった。特に、調教師の渡辺栄師は角田騎手の師匠で、デビュー当初から「うちの馬は全てお前に任せる」との言葉をかけるほど、角田騎手への期待は人一倍あり、フジキセキも角田騎手にその手綱を預けた。だからこそ、ジャングルポケットで角田騎手とダービーを制したいという想いは非常に大きなものがあっただろう。
そして、同世代のライバルであったアグネスタキオンが、皐月賞を制覇した後に戦線を離脱。彼が所属していた長浜厩舎のスタッフと親交のあった角田騎手は、ダービーを前にそのスタッフから「ダービーは頑張ってくれよ」と声をかけられたといい、負けられない気持ちをより強く感じたという。
本番では皐月賞の敗戦からクロフネと評価を分け合う形での1番人気となったが、2400mでこそこの馬の本質が発揮できると感じていた角田騎手は思惑通りレースを進めて行き、直線はダンツフレームとの叩き合いを制して勝利。それは陣営にとって7年越しの悲願達成の瞬間であると同時に、弟子を信じて起用し続けた渡辺師と、その期待に応えた角田騎手、双方の信念が実を結んだ瞬間でもあった。
ゴールの後、ジャングルポケットは天に向かって大きくいなないていた。「1頭で帰ってきたから寂しくて鳴いた」と角田騎手は後に語っているが、その姿がこの舞台に立てなかったライバルへ自身の勝利を報告したように見えてしまうのは、私だけだろうか。