ハナズゴールとの出会い
ここまでジョッキー時代のことをお伺いしてきましたが、調教師になってから思い入れのある馬を、1頭聞かせていただけますか?
やっぱりハナズゴールですね。本当に面白い馬でした(笑)。
最初から話すと、ぼくの同級生が繁殖とかをやってまして、そこにハナズゴールがいたんですよ。それで、その牧場に行ったときにハナズのオーナーであるマイケルさんと知り合った縁があって、うちの厩舎に入れてもらったんですよ。
――そういう繋がりがあったんですね。
それでも最初、ハナズゴールを別の馬主さんに買ってくれと頼んだら断られて、また別の馬主さんにも断られて、それでマイケルさんに声をかけたみたいなんですよ。やっぱり最初はいらないって言われたんだけど、その牧場にマイケルさんが欲しい馬がいたんですよ。それで牧場の人が「ハナズゴールも一緒に買ってくれるんだったら、その馬売ってあげるよ」って。
――まるでセット売りみたいな形ですね(笑)。
そうそう。だからその当時たしか、150万円とかだったかな?
血統書もらうのに払うお金も含めて150万円とかで、馬自体の値段は120万円とかだったと思う。それで、マイケルさんは元々関西の調教師さんとの付き合いがあったから、その当時5頭ぐらいいた中で、関西の調教師さんに「好きな馬を選んで」って言ったら、一番最初に「ハナズゴールはない」って言ったみたいです(笑)。
また別の関西の調教師さんにも聞いたら、その人もハナズゴールは一番最初断ったみたいで。ハナズゴールを含めて残った2頭を「和ちゃんやってくれますか?」って言うから、「やりますよ」って返事したんですよ。
――いわゆる、残り物には福があるみたいな。あのハナズゴールに、まさかそういう経緯があったとは……。
この話にはまだ続きがあるんですよ。うちの厩舎に来たときに最初に担当した厩務員が、馬の手入れにすごくうるさいタイプだったんですけど、ハナズゴールは蹴ったり暴れたりするから、あまりに危険で。それでその厩務員に、「ちょっと、これぼくできないです」って言われたんですよね。
――入厩してからも断られてしまったんですね。
じゃあ違う人にやってもらおうかってなって。別の厩務員の候補は2人いたんだけど、そのうちの先輩厩務員に「ハナズゴールともう1頭でどっちやる?」って聞いたら、案の定ハナズゴールではない、結果的にほとんど走らなかったほうの馬を選んで。
それで、ハナズゴールはもう1人の厩務員にやってもらうことになったんだけど、その担当者も「できることならやりたくなかった」って後から言ってましたね(笑)。
――それは気性的な問題ってことですか?
気性的っていうか、乗るぐらいではそこまで悪さはしないんだけど、手入れとかのときは危険でしたね。たぶん実際に見たら本当にビビると思うよ。じっとしていられないとかっていうレベルじゃないから(笑)。
――では、能力的には、どう評価されていたんですか?
まぁ400キロちょっとしかなくて小柄だったからね。見た目からしても走らないんじゃないかってみんな思ってたんだよね。最初から走ると思ってたら、多少うるさくてもみんなやりたがるから(笑)。
その担当者も、この馬が活躍してからやっと「やって良かったな」って感じたみたいだけどね。
――調教では目立つなどありましたか?
実際動かし始めたら、乗ってた人は「すごく体幹が強くて、走らない馬じゃないな」っていうのは分かったみたいだけど、それでもあの新馬みたいな強い勝ち方をするとは思ってなかったみたい。
――たしかに、新馬戦は衝撃的なレースでしたよね。
調教で乗ってた丸田くんに、レースも乗ってもらいました。スタートしてあんまり行き脚がつかなくて、ポツンと離れてゆっくり走ってたの。「随分とのんびり行ってるけど、まぁいいや」と思って見てたら、直線に入ったときも集団の最後方だったのに、ごぼう抜きして。そこからさらに離したからね。本当に衝撃的なデビュー戦だったよ。
――その後は、牝馬クラシック戦線を意識されていた感じですよね。
本当に、桜花賞だけは悔いが残るね。やっぱりうるさい馬だから、最終追い終わって手入れしているときに、洗い場の壁を蹴っちゃって。滞在していた栗東の洗い場は、板が張られてたんだけど、一番下のところだけコンクリートだったんですよ。よりにもよってそこを蹴っちゃって。それで爪が炎症起こしちゃって、桜花賞を使えなかったんですよね。それが本当に残念で……。
――トライアルのチューリップ賞を快勝して、有力馬の1頭でしたからね。
そうですね。ぼくジョッキーの時から“花”の名前のつくG1勝ってないんですよ。要するに、“皐月”賞、“菊花”賞、あと“桜花”賞とか。だからそのハナズゴールのとき「やっと花の名前がつくG1勝てるかな」と思った瞬間にこれだからね。ぼくは“花”がつくレースに縁がないんだなって思いましたね(笑)。