アドマイヤグルーヴ ~エアグルーヴの子でありドゥラメンテの母。偉大なる血筋を証明した名牝~
アドマイヤグルーヴ(Admire Groove)
アドマイヤグルーヴは、名牝エアグルーヴの娘として圧倒的な期待を背負い、牝馬限定戦で力を発揮し続けた名牝中の名牝だ。2003年と2004年のエリザベス女王杯を連覇し、その実力を証明した。引退後は繁殖牝馬としてもドゥラメンテなどの名馬を送り出し、その血統は今も競馬界にその存在を刻み続けている。
プロフィール
性別 | 牝馬 | |
父 | サンデーサイレンス | |
母 | エアグルーヴ | |
生年月日 | 2000年4月30日 | |
馬主 | 近藤利一 | |
調教師 | 橋田満 | |
生産者 | ノーザンファーム | |
通算成績 | 21戦8勝【8-1-3-9】 | |
獲得賞金 | 5億5133万5000円 | |
主な勝ち鞍 | 2004年 エリザベス女王杯 2003年 エリザベス女王杯 |
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受賞歴 | 2004年 JRA賞最優秀4歳以上牝馬 | |
産駒成績 | 産駒デビュー年:2009年 | |
通算重賞勝利数:3勝 | ||
通算G1勝利数:2勝 | ||
代表産駒(主な勝ち鞍) | ドゥラメンテ(2015年 東京優駿) |
超エリートの期待を背負い
父は大種牡馬のサンデーサイレンス、母は牡馬優勢の時代に天皇賞(秋)を制し年度代表馬にもなった女帝エアグルーヴ。偉大な両親の間に産まれた超良血馬のアドマイヤグルーヴは、当時では最高額の2億3000万円で落札された。
新馬戦は単勝1.2倍、続くエリカ賞は単勝1.1倍と高い評価を受け、母の主戦騎手だった名手・武豊を背に連戦連勝する。その後、皐月賞トライアルの若葉賞に出走し1着となるが皐月賞には向かわず、牝馬路線の桜花賞を選択する。
桜花賞では1番人気に支持されるが、スタートで出遅れいきなりピンチに陥る。予想外の位置取りとなったものの、ラチ沿いでレースを進め最後の直線にかけた。出走馬で唯一の上がり34秒台の末脚で突っ込むが、レースを上手く進めたスティルインラブの3着までだった。
次のオークスは祖母も母も勝った舞台であり、圧倒的1番人気に推されるが、再びゲートで暴れて出遅れる。上がり最速の末脚を使ったが、スローペースが仇となり、スティルインラブの7着に終わった。
秋初戦のローズSでは、スティルインラブと3度目の対戦となった。今回は出遅れることなく、本来の位置での競馬をして快勝する。スティルインラブは5着であったが、前走からプラス22キロという、いかにも叩きのと見られていたので、秋華賞が本当のリベンジの舞台となる。
そして、迎えた秋華賞。アドマイヤグルーヴはスタートを決め、スティルインラブをぴったりマークする形でレースを進める。最後の直線、ゴールを目指し伸びるアドマイヤグルーヴであったが、同じ脚色で伸びたスティルインラブを捉えることはできず、3冠牝馬の誕生を許すことになった。
秋華賞の後に向かったエリザベス女王杯で、またもスティルインラブが立ちはだり、互いに1,2番人気を分け合った。レースはハイペースだったこともあり、秋華賞より互いが離れた位置での競馬となる。最後の直線、アドマイヤグルーヴが一気に抜け出そうとするが、併せ馬で闘志をみせるスティルインラブ。そのまま2頭が並んでゴール板を通過した。結果はハナ差でアドマイヤグルーヴが先に入線していた。念願の初GⅠタイトルを手にし、親子三代GⅠ制覇を成し遂げたのである。
4歳になり、母のように牡馬相手でも結果を残したいところであったが、大阪杯、金鯱賞と連敗する。しかし、牝馬限定戦であるマーメイドSでは3馬身差で勝つなど、牝馬の中では一つ力が抜けていた。秋初戦の京都大賞典を2着とし、母が制した天皇賞(秋)へ向かう。9番人気ながら3着に入る健闘をみせた。
そして、連覇がかかるエリザベス女王杯の日がやってくる。単勝オッズの1番人気は同年の秋華賞馬スイープトウショウ、2番人気はアドマイヤグルーヴ、3番人気はライバルのスティルインラブという並びとなった。レースでは前年と同じような位置を取り、伸びないスティルインラブや追い込むスイープトウショウを尻目に完勝した。充実期を迎え、牝馬では敵なしと言って差し支えない強さを改めて誇示した。
5歳になって再び牡馬混合のGⅠやGⅡに挑むも馬券内に入ることはできなかった。3連覇がかかったエリザベス女王杯では、レース適性をみせスイープトウショウの3着となったが、実力には陰りが見えてきた。そして、次の阪神牝馬ステークスを最後に引退することが発表された。
レースは3歳春以来のマイル戦のうえに、57キロという1番重い斤量を背負っての出走となったが、GⅠ馬の貫録を見せつける勝利をし、自ら引退の花道を飾った。
牡馬混合になると結果を残せなかったものの、牝馬限定レースでは圧倒的な強さを見せた彼女は紛れもなく名馬だ。
引退後は繁殖牝馬になったが、胸部出血のために12歳という若さで亡くなった。途中まで目立った活躍をする産駒を残せないでいたが、最後の産駒であるドゥラメンテが皐月賞や日本ダービーを見事に勝利した。そんな孝行息子も9歳の若さで天国に旅立ったが、残された産駒が活躍する姿をアドマイヤグルーヴとドゥラメンテは天から誇らしく見つめているはずだ。
(文●沼崎英斗)
【了】