クロフネ“9馬身差の衝撃レコードV”や“若かりし頃”のノンコノユメなど【武蔵野S 名勝負5選】
武蔵野ステークスは、1996年に新設されたG3競走。同じ名前の特別競走が1995年まで行われていたが、それは前身とはされておらず、1996年が第1回となっている。創設から4年間は春の東京ダート2100mで行われていたが、2000年にJCダート(現チャンピオンズC)が創設されると、その前哨戦として秋の東京ダート1600mへと変更となり、現在でもその条件で開催されている。また、2014年からは勝ち馬にチャンピオンズCの優先出走権も与えられるようになり、武蔵野ステークスはますます注目のレースとなった。その歴史の中から、5つのレースをピックアップして紹介する。
①1999年(勝ち馬エムアイブラン)
最初に取り上げるのは、大きな変更を行う前年となる、1999年の武蔵野ステークス。春の東京ダート2100mで行われていた、最後の年ということになる。この年の主役は、G3格付けとなって初の連覇を達成した、エムアイブランであった。
エムアイブランは、前年の武蔵野ステークスを含め、重賞3勝の実績の持ち主。さらに同年のフェブラリーSでは、岩手の英雄メイセイオペラの2着に入るなど、G1でも上位争いをする活躍を見せていた。すでに50戦以上のキャリアがある馬とは思えない若々しさで、8歳(現7歳)シーズンを迎えても衰えは感じられなかった。
上位人気は拮抗し、エムアイブランは単勝4.3倍の2番人気。1番人気は重賞連勝中のタヤスケーポイントで、重賞で大崩れなく善戦を続けていたマイターンが3番人気。この3頭は、単勝3.9〜4.5倍の間にひしめきあって、発走を迎えた。
レースは、アマロがハナを切り、マイターンがその直後につける。エムアイブランは好位馬群の中から進め、タヤスケーポイントは後方集団で脚をためる展開となった。ペースはそこまで速いわけではなかったが、アマロは4角手前で失速し、マイターンが押し出されるように先頭に立つ。外をまくるようにタヤスケーポイントも進出し、4角を回って最後の直線へと向かう。
先頭をキープするマイターンであったが、その外から馬群をこじ開けるように伸びてきたエムアイブランが並びかけ、2頭による追い比べとなる。残り200mでマイターンを競り落としたエムアイブランが抜け出し、そのまま勝利。
マイターンは末の粘りを欠き、タヤスケーポイントも直線の伸びはひと息。2着には、併せ馬の形で伸びてきた2頭の争いを制したマチカネワラウカドが入り、共に伸びてきたファストフレンドが3着となった。
勝ったエムアイブランは、重賞4勝目を飾り、武蔵野ステークス連覇を達成。東京ダート2100mで無類の強さを見せていたが、同舞台のJCダート創設は翌年の2000年。このレース直後の帝王賞を最後に現役引退したエムアイブランは、出走が叶わなかった。