ウオッカ ~64年ぶりのダービー制覇を果たした牝馬時代のパイオニア~
ウオッカ(Vodka)
ウオッカは2007年、日本ダービーを64年ぶりに制した牝馬だ。ジャパンカップや天皇賞(秋)、安田記念など牡馬相手のG1レースでも多くの勝利を収めている。同世代のダイワスカーレットとライバル関係は、競馬史に残る名勝負として語り継がれている。牝馬の時代を切り拓いた歴史的名牝の歩みを振り返る。
プロフィール
性別 | 牡馬 | |
父 | タニノギムレット | |
母 | タニノシスター | |
生年月日 | 2004年4月4日 | |
馬主 | 谷水雄三 | |
調教師 | 角居勝彦 | |
生産牧場 | カントリー牧場 | |
通算成績 | 26戦10勝【10-5-3-8】 | |
獲得賞金 | 13億487万円 | |
主な勝ち鞍 |
東京優駿(2007年) ジャパンカップ(2009年) 天皇賞(秋)(2008年) |
|
受賞歴 |
JRA賞年度代表馬(2008、2009年) 最優秀2歳牝馬(2006年) 最優秀4歳以上牝馬(2013、2014年) 特別賞(2007年) |
|
産駒成績 | 産駒デビュー年:2011年 | |
通算重賞勝利数:0勝 | ||
通算G1勝利数:0勝 | ||
代表産駒 | なし |
歴史の扉を開いた府中の鬼
ウオッカは2006年10月に京都競馬場でデビューした。父はダービー馬タニノギムレット、母はダート短距離を中心に5勝を挙げたタニノシスターという、谷水オーナーゆかりの血統であった。
デビュー前から四位騎手が追い切りに騎乗していたが、デビュー戦当日は東京競馬場で天皇賞(秋)に騎乗するため、佐賀競馬所属の鮫島克也騎手が手綱を取ることとなった。レースではスピードの違いでハナに立つと、3馬身半差の逃げ切りで初戦を飾った。
主戦の四位騎手との初コンビとなった黄菊賞では2着となるが、果敢に阪神JFに登録。抽選を突破して出走を果たすと、重賞2勝馬のアストンマーチャンを差し切ってG1初制覇を果たす。2歳日本レコードのおまけつきであった。
年が明けて3歳となったウオッカは、エルフィンSから始動。他馬より2キロ重い56キロを背負いながらも、3馬身差の快勝であった。
そして次走の桜花賞トライアルのチューリップ賞で、ダイワスカーレットとの初対決を迎える。逃げるダイワスカーレットをクビ差交わして勝利。後続を6馬身離す一騎討ちを制した。続く桜花賞でも2頭の争いとなったが、今回は先に抜け出したダイワスカーレットを捉え切れずに2着となった。
次走は優駿牝馬(オークス)ではなく、東京優駿(ダービー)へと照準を定めたウオッカ陣営。牡馬相手でも3番人気に推されると、中団追走から末脚を爆発させて後続を3馬身突き放す快勝。牝馬として64年ぶりのダービー制覇となった。続く宝塚記念では、古馬に挑戦して1番人気に推されるも、ダービーで見せた末脚は影を潜めて8着に敗れた。
夏を経て、秋は秋華賞から始動するも、抜け出したダイワスカーレットだけでなく、レインダンスにも敗れて3着。続くエリザベス女王杯は跛行により出走取り消し(勝ち馬ダイワスカーレット)となった。軽症だったこともあり、2週間後のジャパンカップに出走するも4着。有馬記念でも11着に敗れて、3歳シーズンを終えた。
年が明けて4歳となったウオッカは、海外遠征に向けて京都記念から始動するも6着。続くドバイDFでも4着となった。このドバイ遠征から武豊騎手が騎乗し、主戦騎手となった。
帰国してヴィクトリアマイルで2着になると、続く安田記念では岩田騎手との初コンビで久々の勝利を挙げた。
夏を経て毎日王冠を2着して迎えた天皇賞(秋)。過去4戦で3度先着されているダイワスカーレットとの5度目の対決となったレースは、逃げるダイワスカーレットを差し込むウオッカといういつもの構図となり、ゴール前は内外離れての接戦で入線。コースレコードによる激戦は、13分にも渡る長い写真判定の末、2センチ差でウオッカが勝利。続くジャパンカップでは3着となり、4歳シーズンを終えた。
年が明けて5歳となったウオッカは再びドバイ遠征を敢行する。現地で前哨戦5着を使って、ドバイDFに挑戦するも7着となった。帰国して出走したヴィクトリアマイルは7馬身差の圧勝。続く安田記念も制して、安田記念連覇を達成した。
夏を経て毎日王冠で2着となると、連覇を目指して天皇賞(秋)に出走するも3着。続くジャパンカップには、ルメール騎手との初コンビで出走すると、オウケンブルースリの追い上げをハナ差しのいで勝利。しかしレース中の鼻出血により、JRAの規定で有馬記念への出走は叶わなかった。そしてドバイワールドカップを目標に、6歳シーズンも現役続行となった。
年が明けて、ドバイでキャリア初のダート戦となる前哨戦を使うも、8着に敗れた。さらに再びレース中に鼻出血を発症し、ドバイワールドカップを断念して引退となった。
引退後は、アイルランドで繁殖牝馬としての生活をスタート。5番仔までは日本で競走馬生活を送った。ウオッカ自身は2019年に蹄葉炎によって安楽死となったが、2022年に4番仔のタニノフランケルが種牡馬入り。ウオッカの血を後世に受け継ぐ使命を託された。
(文●中西友馬)