武豊に初G1をもたらしたスーパークリークなど!名馬だらけのクラシック最終戦【菊花賞 名勝負5選①】
1938年に創設され、1948年から現在の名称となった菊花賞。クラシック3冠の最終関門である菊花賞は、阪神競馬場で行われた過去3回を除いては京都芝3000mを舞台に行われ、「最も強い馬が勝つ」レースと称されている。そんな80回以上行われている菊花賞の歴史から、10のレースをピックアップ。その中から前半は、2002年までの5つのレースを紹介する。
①1988年(勝ち馬スーパークリーク)
まず最初に取り上げるのは、1988年の菊花賞。この年の主役は、骨折により春のクラシックを断念した素質馬スーパークリークと、デビュー2年目の天才ジョッキー武豊のコンビであった。
スーパークリークは、3歳(現2歳)の12月にデビュー。2戦目で初勝利を挙げるも、続く400万下(現1勝クラス)特別の福寿草特別で4着、きさらぎ賞で3着と、なかなか勝ち切れないレースが続いていた。
そんな中、すみれ賞からスーパークリークの手綱を執ることとなったのが、まだデビュー2年目の武豊騎手であった。スーパークリークと武豊騎手のコンビはこのレースを勝利し、そこから主戦ジョッキーとなる。
すみれ賞を勝利したことにより、春の大目標となる東京優駿(日本ダービー)への道が開けてきたところであったが、骨折が判明。休養を余儀なくされ、ダービー出走は諦めざるを得なくなった。
半年の休養を経て復帰した神戸新聞杯で3着。続く京都新聞杯で、5着以内に与えられる菊花賞の優先出走権獲得に挑むも、道中の不利が影響して惜しくも6着。菊花賞出走は厳しくなったと思われたが、賞金順上位の馬の回避により、滑り込みで出走を果たすことができた。
そして迎えた菊花賞。ダービー馬サクラチヨノオーが不在で、1番人気は皐月賞馬ヤエノムテキ。前出京都新聞杯でも快勝しており、少し抜けた1番人気であった。
2番人気はディクターランド。こちらは皐月賞でヤエノムテキの2着という実績があり、京都新聞杯でも4着と、スーパークリークに先着していた。3番人気がスーパークリークで、4番人気の上がり馬ミリオンハイラインまでが単勝10倍を切る人気であった。
レースは、ケイコバンがハナに立つかに見えたが、1周目の4角でカツトクシンが先頭に立ってペースを刻んでいく。ヤエノムテキは中団前めに位置を取り、スーパークリークとディクターランドはその直後からの競馬となる。そのままレースは進み、3〜4角では人気3頭が横並びで好位まで浮上。そのまま最後の直線へと向かう。
外へ進路を取った人気2頭に対して、武豊騎手はスーパークリークをラチ沿いへと誘導。最内のスペースを突いて先行各馬を捕えると、あとはグングンと突き放していく。最後は後続に5馬身差をつけて圧勝。ヤエノムテキとディクターランドは直線伸び切れず、それぞれ10着と13着に終わった。
勝ったスーパークリークは、重賞初勝利がG1制覇となり、鞍上の武豊騎手もG1初制覇。史上最年少でのクラシックレース勝利や、父・邦彦との菊花賞父子制覇の記録も達成となり、まさに「天才」と称された。
その後スーパークリークは、翌年の天皇賞秋や、その翌年の天皇賞春を勝利。同時期に活躍したオグリキャップ、イナリワンとともに「平成3強」と呼ばれる活躍を見せた。