ソングラインやエアジハードなどが魅せた!後のG1馬を多数輩出した出世レース【富士S名勝負5選】
1984年に芝1800mのOP特別としてスタートした富士ステークス。その後、芝1400mの時期を経て、現在は芝1600mで行われている。2020年からはG2へと格上げされ、より一層マイルチャンピオンシップの重要なステップレースとしての存在感が増した。今回はそんな富士ステークスの歴史の中から、ピックアップした5つのレースを紹介する。
①1998年(勝ち馬エアジハード)
まず最初は、重賞格上げ初年度となる1998年の富士ステークス。わずか3年しかない1400mで施行されていた期間であり、1999年まで年末に行われていたスプリンターズステークスのステップレースとしての役割を果たしていた。
戦前の1番人気はスピードワールド。4歳(現3歳)時に安田記念で3着となったポテンシャルがあり、前年のG1マイルチャンピオンシップでも1番人気に支持されている馬であった。
2番人気はシンボリフェザード。重賞勝ちこそなかったが、2走前のOP特別でスピードワールドを下した実績が支持されていた。3番人気は外国馬のムシェア。シーキングザパールの勝利したG1モーリスドギース賞で3着に入った英国馬で、鞍上にはペリエ騎手が起用されていた。
そして4番人気がエアジハード。春にはNHKマイルカップに挑戦していたが、秋は自己条件からの始動となり、前走で1600万下(現3勝クラス)を勝ったばかりの4歳馬であった。
レースはムシェアがハナを切るが、マイネルマックスもそのすぐ外につけ、ほとんど2頭が並ぶ形。エアジハードは好位から進め、スピードワールドは後方集団のインコース。シンボリフェザードは最後方からの競馬となった。その隊列のまま4角を回って最後の直線へ。
ムシェアが最内で粘り込みを図るが、馬場の中央に持ち出したマイネルマックスも譲らない。そしてマイネルマックスの外からはブレーヴテンダーやプレストシンボリも伸びてきて、横に広がっての大激戦。
大外からプレストシンボリが抜け出すかに見えたが、内から伸びたのがエアジハード。最後は2着馬プレストシンボリをクビ差抑えて重賞初制覇を飾った。
エアジハードはその後、スプリント路線ではなくマイル路線へと進み、翌年の安田記念とマイルチャンピオンシップを優勝。富士ステークスでの勝利をきっかけに、一気にマイル王者へと駆け上がったのであった。