バブルガムフェロー ~時代を決定づけた第2世代、“サンデーサイレンス四天王”の一角
バブルガムフェロー(Bubble Gum Fellow)
バブルガムフェローは、1987年に3歳馬が出走可能となった天皇賞(秋)で、古馬を相手に堂々と勝利を飾った。2歳時に朝日杯3歳SでG1初制覇を果たし、翌年はクラシック路線へ進むはずだったが、骨折により皐月賞とダービーを断念。復帰戦の毎日王冠で3着に入り、天皇賞(秋)で古馬を打ち負かす快挙を成し遂げた記憶に残る名馬である。
プロフィール
性別 | 牡馬 | |
父 | サンデーサイレンス | |
母 | バブルカンパニー | |
生年月日 | 1993年4月11日 | |
馬主 | 社台レースホース | |
調教師 | 藤沢和雄 | |
生産牧場 | 社台ファーム | |
通算成績 | 13戦7勝【7-2-3-1】 | |
獲得賞金 | 5億5443万円 | |
主な勝ち鞍 |
天皇賞(秋)(1996年) 朝日杯3歳S(1995年) |
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受賞歴 | 最優秀2歳牡馬(1995年) | |
産駒成績 | 産駒デビュー年:2001年 | |
通算重賞勝利数:3勝 | ||
通算G1勝利数:0勝 | ||
代表産駒 | ミヤビペルセウス(2007年新潟ジャンプS) マイネルボウノット(2006年佐賀記念) オノユウ(2009年エーデルワイス賞) |
歴史を変えた時代の風雲児
今でこそローテーションが多様化してきたが、1980年代前半までの有力3歳(当時は4歳表記)牡馬は秋を迎えると、短距離馬やダート馬以外はほとんど菊花賞へと進むのが既定路線であった。
そんな中、1987年に天皇賞(秋)が3歳馬にも開放。長距離よりも中距離に適性がある馬たちに、3歳秋の新たな道が開かれた。そして開放後、初めて天皇賞(秋)を制したのがバブルガムフェローであった。
バブルガムフェローは、2歳秋にデビュー。初戦こそ3着に敗れたが、いわゆる折り返しの新馬を快勝。続く府中3歳S(当時表記)も勝利すると、暮れの朝日杯3歳S(当時表記)でG1初制覇を飾る。
この歳の2歳馬が2世代目であったサンデーサイレンス産駒は、バブルガムフェロー以外にも、バブルガムフェローの出走していなかったラジオたんぱ杯3歳Sで1〜3着を独占。そのロイヤルタッチ、イシノサンデー、ダンスインザダークの3頭にバブルガムフェローを加えた、いわゆる「サンデーサイレンス四天王」を中心に、来年のクラシックは回っていくと言われていた。
そして、明けて3歳となったバブルガムフェローは、3歳初戦のスプリングSも勝利。クラシック第1冠の皐月賞に向けて視界良好と思われたが、皐月賞直前に骨折が判明。全治6ヶ月の診断により、皐月賞のみならずダービーへの道も閉ざされることとなった。
そんなバブルガムフェローの復帰戦に選ばれたのが、毎日王冠。骨折明けで半年ぶりの実戦に加え、古馬との初対戦という厳しい条件の中でも3着に好走を果たす。そして、毎日王冠前に立てていた予定通り、菊花賞ではなく天皇賞(秋)へと出走することとなった。
この年の古馬勢は、同年の天皇賞(春)を制して春秋連覇に挑むサクラローレルや、同年の宝塚記念を制したマヤノトップガン、デビューから9戦8勝、目下6連勝中と勢いに乗るマーベラスサンデーなど、豪華メンバーが集結していた。そんな古馬勢を相手に、バブルガムフェローは道中3番手から抜け出す横綱相撲で勝利してみせた。
ちなみにこの年のクラシックは、ダービーこそフサイチコンコルドが勝利したが、皐月賞をイシノサンデー、菊花賞をダンスインザダークが勝利し、戦前の予想通りにサンデーサイレンス四天王が大活躍。
競馬にたらればは禁物だが、もしバブルガムフェローが骨折をしていなかったら、春2冠を達成していた世界線もあり得ないことではない。そうなると秋は菊花賞に出走していて、3歳馬による天皇賞(秋)制覇は、まだ先になっていたのだろうか。しかし、その代わりに3冠馬になっていたかもしれない。そんなことを考えさせられる、バブルガムフェローの天皇賞(秋)制覇であった。
(文●中西友馬)