岩手の英雄・メイセイオペラなどが登場! 盛岡を彩るダートマイル王決定戦【南部杯名勝負5選】
1988年に水沢競馬場で始まった南部杯。最初は北日本地区のマイル最強馬決定戦としてスタートし、北日本マイルチャンピオンシップ南部杯というレース名であった。1995年からは中央交流となり、マイルチャンピオンシップ南部杯という今の名称に変更。開催場も、1996年からは盛岡競馬場となり、1997年からは統一G1の格付けを与えられ、ダート界の秋のマイル王決定戦という位置づけとなった。そんな南部杯の歴史から、ピックアップした5つのレースを紹介する。
①1998年(勝ち馬メイセイオペラ)
1995年に中央交流となった南部杯は、交流元年からJRA勢が3連勝。その流れを止めたのが、岩手の英雄メイセイオペラであった。
メイセイオペラは1996年に盛岡でデビュー。デビュー6戦目からの7連勝で東北ダービーを制すると、5歳(現4歳)シーズンからはJRA勢に混じって交流競走でも活躍した。当時2つ上の船橋アブクマポーロとともに、JRA勢と互角の戦いを見せていた。夏のマーキュリーカップでは、7馬身差の圧勝で交流重賞初制覇。次はG1級タイトル獲得を目指し、南部杯へと出走する。
1番人気は前出した船橋のアブクマポーロ。中央交流のG1級タイトルを2つ持っているだけでなく、JRA勢のホームに乗り込み、G2東海ウインターステークスも制覇していた。7歳にして全盛期を迎え、6連勝中でここに挑んでいた。
2番人気はタイキシャーロック。前年の南部杯覇者で、直前のエルムステークスも快勝し、連覇に向けて順調に駒を進めていた。こちらもアブクマポーロと同じ7歳馬であったが、まったく衰えは見られない。3番人気が地元の声援を受けるメイセイオペラで、4番人気は前年タイキシャーロックの2着であったバトルライン。上位人気はこの4頭で発走を迎えた。
レースは、メイセイオペラがハナを切り、好位の外めにタイキシャーロック、その内にバトルラインがつけ、アブクマポーロは中団後方寄りからの競馬となる。その隊列のまま4角を回って直線へと向かう。
逃げ粘るメイセイオペラに対し、残り200mで2番手に浮上したタイキシャーロックとバトルラインが併せ馬の形で追ってくる。その後ろからはアブクマポーロも猛然と前との差を詰めてくるが、これらは全て2着争い。最後は後続との差を3馬身に広げたメイセイオペラが完勝した。大接戦の2着争いはタイキシャーロックが制し、ハナ差の3着にアブクマポーロが入った。
地元で嬉しいG1級初制覇を果たしたメイセイオペラはその後、翌年のG1フェブラリーステークスを制覇。地方所属馬として初となる、JRAのG1制覇を果たした。これは、そこから25年が経った2024年現在でも、メイセイオペラしか達成していない記録となっている。