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【宮下瞳インタビュー(後編)】“馬ファースト”を掲げて。名古屋で踏み出した調教師としての第一歩

text by 中西友馬
宮下瞳厩舎(2)
宮下瞳厩舎(2)

名古屋競馬で長年にわたり活躍し、重賞制覇や黄綬褒章受章など数々の栄誉を手にしてきた宮下瞳氏。そのキャリアは決して平坦なものではなかった。引退、子育てを経て復帰し、再び結果を残したのち、現在は調教師として新たな道を歩んでいる。本インタビューでは、騎手としての歩みから調教師転身の背景、そして現在の思いに迫った。今回は後編。

決断。調教師への転身

騎乗と並行した試験勉強の苦労

騎手として第一線で活躍してきた宮下氏は、その後調教師へと転身。現在は名古屋で厩舎を率いる立場として、新たなキャリアを歩んでいる。

――ここからは、調教師になられてからのお話もお伺いしたいと思います。
まず、調教師に転向されることを考え始めたタイミングは、いつ頃だったんですか?

2025年の年明けぐらいからですね。その時期から「ボチボチかな…」とは思っていたんですが、その後の4月ごろに前十字靭帯を痛めてしまって。

その時に、もうジョッキーは長く続けられないなと思うようになりました。そこから9月の調教師試験に向けて、勉強を始めました。

――騎乗しながら調教師試験の勉強をするのは大変ですよね?

めちゃくちゃ大変でした!騎手として復帰するときにも勉強したんですけど、今回は期間も短かったですし、何倍も大変でしたね。

息子の存在が後押しした新たな目標

――怪我をする前から引退を意識していたとのお話でしたが、そのキッカケはあったんですか?

息子が今年の4月から中学3年生になるんですけど、今年JRAの騎手試験を受けるんですよ。なので、本当は息子が騎手になるまで現役を続けようと思っていました。以前からそれが私の夢でもあったので。

――それが大きなモチベーションになっていたんですね。

はい。ただ、体力的にそれが厳しいかなと思うようになってしまって。それなら騎手としてではなくて、調教師になれば息子をサポートできるんじゃないかと思い始めたんです。

もし息子がJRAのジョッキーになっても、名古屋に乗りに来たときに乗せてあげられたらいいなと思って、新しい夢を持つようになりました。

――それは素晴らしい夢ですね。

でも本当は、調教師試験にこんなにすぐ受かると思ってなかったんです。周りからけっこう難しいって聞いていたので。2〜3回受けたらだいたい自分が50歳ぐらいで合格すればいいなと思っていて。

そしたら結果的に一発で受かったので、予定よりだいぶ早まりましたね。
だから正直まだ、ジョッキーとして乗っていたかったなという心残りもありますね。

――息子さんにアドバイスしたりもありますか?

はい、アドバイスします。いま中京競馬場の乗馬クラブに通っているんですが、駈歩(かけあし)が出なかったり、苦戦することが多いみたいです。そういうときには、私とか主人に意見を聞いてきますね。

――お手本となる先生が身近に2人もいたら心強いですよね。

主人が、息子が家でも練習できるように木馬を買ったんですよ。なので、それに乗せて、主人が一生懸命教えています。

――息子さんは小柄な体型ですか?

身体の大きさに関しては、騎手としては全く問題ないですね。同級生の男の子の中で飛び抜けて小さいので、逆にどこにいても分かります。

――それもご両親から受け継いだある種の才能ですね。

そうですね。本当にどれだけ食べても太らないですし、減量で苦しむということはないんじゃないかな、と思います。だから、その部分に関しては、本当に恵まれていると思います。

宮下瞳調教師
宮下瞳調教師

調教師としての新たな挑戦と夢

ゼロから始めた厩舎運営の苦労

――厩舎を開業されてからは、なにが一番大変ですか?

単純に人手が足りなかったですね。最初は厩務員がいなかったので、すべての作業を主人と2人だけでやるのが、かなり大変でした。

――2人でやっていたんですね!その状況で、何頭ほど管理していたんですか?

10頭です。今までに少し厩務員の経験があったと言っても、全ての作業ができるかというと、やはり分からないこともありました。

――まずは厩務員としての仕事からですね。

それに加えて、当然調教師の業務も入ってくるので、開業当初は本当に“てんやわんや”という感じでした。

――今はもう、スタッフさんも入っているんですか?

はい。スタッフさんが2人入ってくれたので、すごく楽になって、本当に助かっています。

「馬ファースト」で向き合う厩舎づくり

――厩舎を運営する上で、大切にしている考え方はありますか?

やはり馬ファーストというのは常に考えています。馬がいてこそ競馬に参加させてもらえるので、馬の体調や脚元が悪いときには、すぐにオーナーさんに伝えるように心がけています。
万全の態勢でレースに参加させたいですし、レース後のケアや治療も、できる限りしています。

――調教師としては、勝ちたいレースなどはありますか?

まだ重賞にも出走させたことがないので、まずはそのレベルの馬を育て上げることが目標です。

ただ将来的な目標としては、ソウルの招待レースに自分の厩舎の馬を出走させてみたいです。名古屋競馬からはまだ1頭も遠征したことがないので、招待を受けるような馬を育てられるようになりたいです。

2026年1月13日/コパカツで初勝利を挙げた宮下瞳調教師
2026年1月13日/コパカツで初勝利を挙げた宮下瞳調教師

調教師としてのスタンスと現在

変わらない人との距離感

――調教師になられてから、ジョッキーに乗り方の指示を出したりすることはありますか?

基本的に、オーナーさんからこうしてほしいと言われたときはそれを伝えるんですけど、そういうのがないときは、好きに乗ってきてくださいと伝えます。

自分がジョッキー時代にそう言われると、リラックスして乗れていたので。
例えば、「前に行ってくれ」と言われると、逆にゲートの中で緊張して出遅れちゃったりするんですよね。

特に新人のジョッキーに乗ってもらうときには、「リラックスして好きに乗ってきて」と伝えるようにしています。

――周りの人たちからは「先生」と呼ばれることも増えましたか?

増えましたけど、全然慣れないですね(笑)。
だから「今まで通りに呼んでください」と、私は周りの人たちに言っています。

――ジョッキー時代は、なんと呼ばれることが多かったんですか?

やっぱり「瞳さん」って呼ばれることが多かったですかね。なので、今もそう呼んでもらっています。

――競馬ファンの間では、「姉さん(ねえさん)」と呼ばれていることも多い気がします。

それも言われますね。「瞳姉さん」って呼んでくれている人もいますし、中には下乗りの頃から面倒を見ている子は、私のことを「ママ」って呼んだりもします(笑)。

まだまだ「先生」だなんて大した人間じゃないので、今まで通りの呼び方で好きに呼んでもらいたいですね。

厩舎運営とこれからの目標

――いま厩舎にいる馬は、名古屋競馬場のほかの厩舎から転厩してきた形ですか?

いえ、名古屋競馬以外から来た馬をそのまま入れてもらっています。たぶん開業したばかりのどこの厩舎でも、同じ競馬場から転厩してくるパターンは珍しいと思いますね。

――最後になりますが、目標にされている調教師の方はいますか?

同じ名古屋競馬場の宇都(英樹)先生ですね。最近、活躍馬もどんどん出てきているんですよ。しかも宇都厩舎は雰囲気もすごく良いんです。
私も同じように、厩舎の雰囲気が良くて、結果も残せるような厩舎を目指していきたいです。

――本日は貴重なお話、ありがとうございました。

ありがとうございました。

宮下瞳厩舎(3)
宮下瞳厩舎(3)

ホースマンとして、幾度もの転機を乗り越えてきた宮下瞳氏はいま、新たなスタートラインに立っている。立場は変わっても、競馬と真摯に向き合い続ける姿勢は決して変わらないだろう。
名古屋競馬を舞台に、その挑戦がどのような形で実を結んでいくのか、今後の活躍に注目したい。

【了】
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【著者プロフィール:中西友馬】
大学卒業後、競馬新聞社に入社し、約7年間専門紙トラックマンとして美浦に勤務。テレビやラジオでのパドック解説など、メディア出演も行っていた。2024年よりフリーライターとしての活動を始め、現在は主に、株式会社カンゼンが運営する競馬情報サイト『競馬チャンネル』内の記事を執筆している。