日本近代競馬の原点・根岸競馬場 ― 『馬の博物館』が伝える日本競馬のはじまり

「競馬がなくなるかもしれなかった時代が、2回あるんです」
横浜・根岸にある馬の博物館でそう語ってくれたのは、同館の学芸員・秋永和彦さんだ。
いま日本競馬は、世界有数の売上規模を誇り、海外GⅠでも結果を残す存在となった。多くのファンがレースに熱狂し、インターネット投票の普及によって競馬はより身近な娯楽になっている。
しかし、現在の人気からは想像しにくいが、日本競馬の歩みは決して平坦ではなかった。外交の舞台として始まり、戦争と深く結びつき、制度的な混乱と社会的な逆風を受けながら、幾度も存続の危機を乗り越えてきた歴史がある。
本特集では、学芸員への取材をもとに、日本競馬150年の歴史を五つの視点から整理する。[1/5ページ]
第1章「開国と外交」
~開国とともに始まった競馬~
日本競馬の出発点は、1859年の横浜開港にある。
「開国によって横浜に多くの外国人が居留しました。その人たちが母国で親しんでいた娯楽の一つが競馬だったんです」
学芸員の秋永さんはそう説明する。
1860年には現在の元町商店街付近で競馬が行われた記録が残っている。さらに1862年には中華街付近でも開催された。当初は専用の競馬場ではなく、広場での開催だった。
「当時は外国人による、外国人のための競馬でした。日本人は基本的に参加していません」
つまり、日本競馬の原点は“国際都市・横浜の居留地文化”にあった。
やがて外国人居留地が手狭になると、本格的な競馬場建設の要望が幕府に出される。そのさなかの1862年には「生麦事件」が起こった。
「外国との関係が非常に緊張していた時期です。関係改善の意味もあり、幕府は競馬場建設を受け入れたと考えられています」

候補地はいくつかあったが、最終的に選ばれたのが根岸だった。中心地からやや離れ、衝突を避けやすい場所だったという。
こうして誕生した根岸競馬場は、日本における近代競馬の本格的なスタート地点となった。
「馬の博物館が根岸にあるのは、ここが日本競馬の発展を支えた地だからです」
横浜・根岸。この地名は、日本競馬史を語るうえで欠かせない場所である。


