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【凱旋門賞名勝負5選 日本馬編】ディープインパクトやオルフェーヴルなど!日本を代表する名馬たちの挑戦

text by 中西友馬

 1920年に記念すべき第1回が行われ、100回以上の歴史を誇る凱旋門賞。そんな中、日本調教馬は1969年のスピードシンボリを皮切りに、2023年までに31頭の馬が計34回挑戦した。特に近年は毎年のように日本調教馬が挑戦しているが、未だ欧州勢の高い壁を打ち破れていない。今回はその中から、世界の頂に迫った日本調教馬を、5頭ピックアップして紹介する。

El Condor Pasa
第78回凱旋門賞に出走したときのエルコンドルパサー

エルコンドルパサー(1999年2着)

 スピードシンボリが日本調教馬として初めて凱旋門賞に挑戦してから30年が経った1999年。日本調教馬4頭目の挑戦にして、凱旋門賞制覇にあと一歩まで迫った馬がいた。それがエルコンドルパサーである。

 エルコンドルパサーは4歳(現3歳)時にNHKマイルカップとジャパンカップを制覇。特にジャパンカップでは、海外の強豪だけでなく、天皇賞馬エアグルーヴや、同世代のダービー馬スペシャルウィークを寄せつけない強さで勝利した。
そしてその勝利を置き土産に、5歳シーズンは長期の欧州遠征を敢行する。まずはG1サンクルー大賞で、61キロという斤量を克服して勝利した。そしてその欧州遠征のラストとして、シーズン最終盤の凱旋門賞へと出走する。

 エルコンドルパサーは現地での評価も高く、単勝2番人気の支持を受けていた。単勝1番人気はモンジューである。仏ダービーと愛ダービーを勝っている3歳馬で、同一馬主のジンギスカンと1頭扱いとなる、カップリングでの1番人気であった。
レースは、最内枠から好スタートを決めたエルコンドルパサーがハナを切る展開となった。すると、モンジューのアシスト役に徹するジンギスカンが、ペースを上げようと絡んでいく。モンジューは好位のインで脚を溜めた。

 そしてその隊列のまま、最後の直線へ。逃げるエルコンドルパサーが後続を引き離しにかかる中、残り300m手前で馬群をこじ開けるようにしてモンジューが2番手に上がる。この時点では3馬身ほどの差があったが、モンジューが1完歩ごとに差を詰め、残り100mを切ったところで交わして前に出る。最後まで必死に抵抗したエルコンドルパサーだったが、半馬身差の2着に敗れた。

 惜しくも凱旋門賞制覇とはならなかったが、雨を大量に含んだかなりタフな不良馬場での大健闘であった。3着以下を6馬身ちぎったレース内容は、日本調教馬でも互角に戦えることを示し、世界に大きなインパクトを与える走りとなった。

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