【レディスプレリュード名勝負5選】後のBCディスタフ覇者、マルシュロレーヌを輩出
2003年にTCKディスタフというレース名で創設され、2011年に現レース名へと名称変更された、レディスプレリュード。JBCレディスクラシック新設に伴い、その前哨戦としてレディスプレリュードに生まれ変わったため、2011年からはJRA勢も含めた交流重賞としてリニューアル。前身のTCKディスタフ時代から大井競馬場のダート1800mで行われており、施行回数もTCKディスタフ時代のものを引き継いでいる。そんなレディスプレリュードの歴史の中から、5つのレースをピックアップして紹介する。
①2011年(勝ち馬ミラクルレジェンド)
交流競走に変貌を遂げ、現レース名へと変更された初年度の、2011年レディスプレリュード。この記念すべき年のレースは、戦前から3強の様相を呈していた。
1番人気は、5歳馬のラヴェリータ。交流重賞7勝を誇る実績馬で、同年のかしわ記念では牡馬に混じって2着と好走。前走のスパーキングレディーCでもただ1頭58キロを背負って6馬身差圧勝と、強さを見せていた。
対する2番人気は、4歳馬のミラクルレジェンド。こちらも重賞2勝の実績があったが、1歳上のラヴェリータに対しては2戦2敗と分が悪かった。さらに、その2戦では2キロもらっていた斤量差も、今回は1キロ差。その辺りも考慮され、ラヴェリータに1番人気を譲る形となっていた。
そして3番人気は、船橋の3歳馬クラーベセクレタ。門別から船橋に移籍後は、5連勝で東京ダービーを制覇。牝馬ながら南関東2冠に輝いた。しかし、3冠を目指したジャパンダートダービーではグレープブランデーの3着に敗れ、さらにレース後に禁止薬物が検出されたことにより、公式記録では失格へと訂正。立て直しを図る秋初戦として、レディスプレリュードへと出走していた。
4番人気は単勝20倍以上となり、この3頭が圧倒的な支持を集めて発走を迎えた。
レースは、エーシンクールディがハナを切り、クラーベセクレタが2番手を追走。ミラクルレジェンドは好位の後ろあたりにつけ、そのすぐ後ろでラヴェリータがマークするような展開となる。最初に動いたのは、人気3頭で一番後ろにいたラヴェリータ。3角手前で早めに進出して前の2頭に並びかけ、この3頭が後続を離す展開となる。ミラクルレジェンドはそれを送り出して4番手となり、4角を回って最後の直線へと向かう。
直線に入っても、二の脚を使ったエーシンクールディが先頭をキープ。クラーベセクレタは突き放され、ラヴェリータが2番手へと浮上して前を追う。しかし、それらの争いを外からまとめて交わしたのが、ミラクルレジェンド。残り100mで先頭へと立つと、後続に1馬身半の差をつけて快勝。連れて伸びたラヴェリータが2着を確保し、3着にはエーシンクールディが粘り込んだ。
勝ったミラクルレジェンドは、3度目の対決でラヴェリータに初勝利。この年新設されたJBCレディスクラシックに向けての弾みをつけると、その本番でも2頭による一騎打ち。リベンジを期したラヴェリータを返り討ちにしたミラクルレジェンドが、見事初代女王に輝いた。