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【マリーンC名勝負5選】メイショウバトラーやペルアアなどダートを主戦場とする牝馬が活躍

text by 中西友馬

前身となる、南関東準重賞マリーン・カップから、1997年に交流重賞へとリニューアルされたマリーンカップ。第1回からずっと、船橋ダート1600mの牝馬限定重賞として行われてきた。施行時期も、2005年と2009年の6月開催を除いては4月に行われており、牝馬交流重賞戦線において重要なレースとなっていた。そんなマリーンカップの歴史の中から、5つのレースをピックアップして紹介する。

Fast Friend
第45回クイーン賞を制したときのファストフレンド

①1999年(勝ち馬ファストフレンド)

 最初に取り上げるのは、交流重賞となって3年目にあたる、1999年のマリーンカップだ。
 
 この年の1番人気はエアデジャヴー。前年の牝馬3冠路線では③②③着と好走。惜しくもG1タイトルにはあと一歩届いていなかったが、牝馬では世代トップクラスの能力を示していた。そんな芝の実績馬が5歳(現4歳)シーズン初戦に選んだのが、初ダートとなるマリーンカップであった。もちろんダート適性は未知数だが、芝での成績が評価された形で1番人気に推されていた。

 対する2番人気はファストフレンド。こちらはデビュー2戦目から一貫してダート路線を進み、5勝を挙げていた。当時は降級制度があったため、未だ1600万下(現3勝クラス)と条件馬の身ではあったが、牝馬限定戦ならば十分通用すると考えられて2番人気に支持されていた。

 レースは、エステーサッチがハナを切り、イシゲヒカリが2番手につける展開。エアデジャヴーは好位の外めを追走し、ファストフレンドは中団馬群で脚をためていた。ペースが上がったのは3角あたり。前は逃げるエステーサッチをイシゲヒカリが捕まえにいき、さらにその外からマジックリボンも並びかけて3頭横並び。その後ろにいたエアデジャヴーは早くも手ごたえが怪しくなって後退加減。代わって外からファストフレンドが上がっていって4角を回り、最後の直線へと向かう。

 直線に入ると、前の争いからイシゲヒカリとマジックリボンが抜け出し、さらにその中から、マジックリボンが先頭へと立つ。それを目がけて伸びてきたのがファストフレンド。1完歩ごとに差を詰め、残り50mあたりできっちり捕えきっての勝利。2着がマジックリボンとなり、そこから3馬身離れた3着にはイシゲヒカリが粘り込んだ。

 勝ったファストフレンドは、重賞初挑戦で重賞初制覇。その後は、この時テン乗りであった蛯名騎手とのコンビで、交流重賞を中心に数々のタイトルを奪取し、翌年の2000年には帝王賞と東京大賞典を制覇。現役引退までに重賞9勝を挙げ、ホクトベガに次いで砂の女王と称される活躍をみせた。

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