【宿命のライバル 5選】観客も大熱狂…ドラマを生み続けた因縁の対決
競馬では「生まれた時代が悪かった」などと言ったりするが、同世代で同じ路線を進む馬たちは、何度も同じレースに出走することがある。その中で、常に同じ馬に負けていたり、接戦を演じていたり、どの時代にもライバルと呼べる関係性は存在していた。そこで今回は、その中でも特に印象的な5組のライバルを紹介する。
①テイエムオペラオーvsメイショウドトウ
対戦成績
年 | 月日 | レース | テイエムオペラオー | メイショウドトウ |
---|---|---|---|---|
2000 | 6月25日 | 宝塚記念(G1) | 1着 | 2着 |
2000 | 10月29日 | 天皇賞(秋)(G1) | 1着 | 2着 |
2000 | 11月26日 | ジャパンC(G1) | 1着 | 2着 |
2000 | 12月24日 | 有馬記念(G1) | 1着 | 2着 |
2001 | 4月29日 | 天皇賞(春)(G1) | 1着 | 2着 |
2001 | 6月24日 | 宝塚記念(G1) | 2着 | 1着 |
2001 | 10月28日 | 天皇賞(秋)(G1) | 2着 | 3着 |
2001 | 11月25日 | ジャパンC(G1) | 2着 | 5着 |
2001 | 12月23日 | 有馬記念(G1) | 5着 | 4着 |
クラシック皆勤で、いわゆる王道路線を進んだテイエムオペラオー。クラシック三冠を分け合った、ナリタトップロードとアドマイヤベガももちろんライバルだが、やはり古馬となってからのライバルといえば、メイショウドトウ。
そのメイショウドトウは、テイエムオペラオーとは違い、外国産馬であるためクラシックへの出走権はなし。オープン入りしたタイミングも4歳(現3歳)の年末と遅く、まさに対照的なキャリアを歩んでいた。
そんな2頭が初めて顔を合わせたのは、2000年の宝塚記念。グラスワンダー のグランプリ4連覇がかかる一戦であった。テイエムオペラオーは1番人気(単勝1.9倍)、メイショウドトウは6番人気(単勝23.0倍)での初対決は、直線でねじ伏せるように先頭へと立ったテイエムオペラオーに対して、内からメイショウドトウが抵抗。間にジョービッグバンを挟んだ3頭での叩き合いは、クビ差でテイエムオペラオーに軍配が上がった。
そしてここから、メイショウドトウにとっては悪夢のような連敗が始まる。天皇賞(秋)では2馬身半差、ジャパンカップではクビ差、有馬記念ではハナ差と、テイエムオペラオー相手に4連敗。さらにいずれも2着という、まさに「目の上のたんこぶ」のような存在であった。逆にテイエムオペラオーは2000年を8戦8勝で終え、「世紀末覇王」の名を欲しいままにした。
年が明けて2001年となっても、この2頭のライバル関係は続き、天皇賞(春)では半馬身差でテイエムオペラオーが勝利。メイショウドトウは、G1で5戦連続の2着となった。
しかし、初対決から1年が経った2001年の宝塚記念。強気な競馬で4角先頭に立ったメイショウドトウが、外から追い込んでくるテイエムオペラオーの追撃を抑えて勝利。悲願のG1初制覇を飾り、6度目の対戦にして、初めてテイエムオペラオーを破った。
その後の秋3戦は、ともにピークを過ぎていたのか未勝利に終わった両馬。その年の有馬記念をもって、2頭ともに引退となった。
対戦成績は、テイエムオペラオーの7勝2敗。G1でのワンツー6回という記録は、今後なかなか現れることはないだろう。