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【思わず絶句…衝撃の逃走劇 5選】振り返っても奴がいない?すべてを置き去りにした、孤高の勇者たち

text by 勝木淳

 先頭を走り、レースの流れを支配する逃げは諸刃の剣だ。もっとも展開利を受けるポジションであると同時に常に後ろの馬たちにマークされる立場でもある。

 あまり遅いペースを刻むと、早めに後続の追撃をつけ、かといって速すぎれば、自身のスタミナを奪ってしまう。ライバルたちの監視の目をかいくぐり、自分との戦いに勝つ。そのためには鞍上のアシストも欠かせない。鮮やかに決まる逃げは人馬の共同作業による結晶ともいえる。

 競馬史に刻まれる「衝撃の逃げ」。挙げれば枚挙にいとまがないが、今回は筆者がリアルタイムで目撃した5レースにあえて絞り、その凄みを振り返る。

1998年金鯱賞を制した時のサイレンススズカ
写真は、1998年金鯱賞を制した時のサイレンススズカ

①サイレンススズカ

~1998年毎日王冠~

 1998年といえば、サイレンススズカが躍動した一年でもある。97年12月の香港カップからコンビを組んだ武豊騎手は暴走気味の逃げが多かったサイレンススズカにあえて主導権を預ける形を選択。

 これが快進撃につながった。伝説と語り草になった金鯱賞はその最たる例といっていい。南井克己騎手に乗り替わった宝塚記念を制し、G1馬になったサイレンススズカは秋初戦として毎日王冠に駒を進めた。

 ここには年下の強力な外国産馬2頭も出走。無敗のNHKマイルC覇者エルコンドルパサー、同じく無敗で2歳王者に就いたグラスワンダーの挑戦を受けることになった。

 サイレンススズカ59キロに対し、2頭の斤量は57キロ。2キロの差がレース結果にどう影響を与えるのか。そして、サイレンススズカはどんな逃げを打つのか。興味が尽きない好カードだった。

 ゲートを飛び出したサイレンススズカに対し、武豊騎手は春と同じく主導権を預ける。

 派手な大逃げではなかったが、1000m通過57.7は速い。ムキにならず、息をしっかり入れながらであっても、これほどのタイムを計時できるのは、サイレンススズカのナチュラルなスピードの証。

 逃げ馬のなかでも次元が違う。勝負所で積極的に挑んできたグラスワンダーを振り切り、あえて動かず、直線に懸けたエルコンドルパサーに追撃のスキを与えなかった。

 次走の天皇賞(秋)で、残念な結末を迎えてしまったが、エルコンドルパサーとグラスワンダーを相手にしなかった毎日王冠は、サイレンススズカ最強説を裏づけるレースとして語り継がれるだろう。

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