【日本ダービーに挑戦した5頭の牝馬】無謀か、それとも希望か…牡馬の壁に挑んだ女傑たちの物語
ダービーの出走条件は「3歳牡・牝、未出走、未勝利馬除く」。優秀な種牡馬選定という命題のため、セン馬は出走できないが、その血を後世に残せる牝馬には門戸が開かれている。だが、グレード制導入後の1984年以降、ダービーに出走した牝馬は5頭のみである。今回は、生涯一度の舞台にダービーを選んだ牝馬の物語を振り返る。
①1996年 ビワハイジ
父:カーリアン
母:アグサン
生年月日:1993年3月7日
毛色:青鹿毛
調教師:浜田光正(栗東)
のちに桜花賞、オークスを勝つブエナビスタほかジョワドヴィーヴル、アドマイヤジャパン、アドマイヤオーラらを世に送ったビワハイジは、早田牧場がアイルランドから輸入した繁殖牝馬アグサンのお腹の中にいた持ち込み馬だった。父カーリアンは英国クラシック三冠馬であり、サドラーズウェルズからリーディングサイヤーの座を奪ったチャンピオン種牡馬。日本でもシンコウラヴリイ、エルウェーウィンとGⅠ馬を送った。
良血ビワハイジは2歳(当時3歳)時こそエアグルーヴを破り、無敗でGⅠまでのぼりつめたものの、春クラシック第一冠桜花賞は2番人気15着と大敗。若駒特有の歯替わりやフケ(発情)がレース直前にあり、熱発など体調不良も重なった。
敗戦後、オーナーサイドはオークスではなく、ダービーを選んだ。ビワハイジは距離延長で必ずパフォーマンスを上昇させるという確信があり、牡馬相手でもやれると踏んだからだ。なにせ父は英国三冠馬カーリアンだ。2400mでこそ、その血は威力を増す。そんな確信の裏にはオークスに出走するエアグルーヴの存在も大きかった。
暮れのGⅠは半馬身退けたが、チューリップ賞では5馬身と一気に逆転された。軽い熱発で桜花賞を回避したエアグルーヴは必ず立て直してくる。そんな事情も重なり、ビワハイジはダービーに出走した。結果は13着。初角こそ中団につけたが、ペースアップした勝負所で応戦できなかった。勝ったのはフサイチコンコルド。同じ父カーリアンの持ち込み馬だった。桜花賞で狂った歯車を一気に元に戻そうとした挑戦は残念ながら実らなかった。