ミホノブルボンだけじゃない…“坂路”革命!日本競馬を変えた調教【坂路の申し子5選】
年号が令和にかわってからあまり聞かれなくなったが、平成の競馬界は間違いなく「西高東低」だった。関東圏で開催されるG1であっても、出走馬のほとんどを関西馬が占めるレースも珍しくなかった。
逆に昭和の時代は「東高西低」の期間が長かった。昭和後期に誕生した2頭の三冠馬、ミスターシービーとシンボリルドルフはどちらも関東馬で、1983年(昭和58年)のミスターシービーから1990年(平成2年)のアイネスフウジンまで、関東馬は日本ダービーを8連覇していたほどだ。
「東高西低」を止めたのは、伝説と化したあの不屈の名馬であり、それ以降の関西馬の躍進には“坂路”の存在があった。1985年秋に栗東に造成された全長400m弱の坂道コース。その後、徐々に距離が延長されるとともに、坂路での追い切りが「西高東低」の流れを醸成していった。
そこで今回は、坂路調教によって鍛えられた名馬を5頭ピックアップ。時系列に沿って紹介していこう。
①トウカイテイオー
~「西高東低」時代の開拓者~
関東馬のダービー8連勝を1991年に止めた、伝説の名馬とはほかでもない、トウカイテイオー(栗東・松元省一)のことである。
デビューは3歳時(現表記で2歳)の12月とやや遅かったが、松元厩舎が取り入れていた坂路での追い切りでパワーとスピードを研ぎ澄ませていた。無傷の5連勝で皐月賞を制覇すると、続くダービーも圧勝。三冠街道を突き進むかと思われたが、ダービー直後に骨折が判明し、戦線離脱を余儀なくされた。
古馬になってからは復帰初戦こそ勝利したものの、“世紀の対決”と騒がれた天皇賞・春でメジロマックイーンに完敗。レース後に再び骨折が判明する。その後はぶっつけ本番で半年後の天皇賞・秋へ。ここは7着に敗れたが、続くジャパンCで海外の強豪馬を相手に復活Vを飾り、2冠馬の意地を見せた。
しかし秋3戦目の有馬記念は11着に惨敗し、3度目の骨折も……。陣営は引退も検討したとされるが、現役を続行し、1年後のグランプリで帝王は“奇跡の復活”を果たしたのだった。
結局、1993年の有馬記念が現役最後のレースとなったトウカイテイオー。強さと脆さを併せ持つ名馬に魅せられたファンは少なくない。その陰には、ウッドチップが敷き詰められた栗東坂路の効果もあったはずだ。“脚に負担が少ない”といわれた当時の坂路がなければ、度重なる復活劇もなかったかもしれない。