タイキシャトル ~最強を証明した雨の安田記念。世界でも活躍した日本競馬史上屈指のマイラー~
タイキシャトル(Taiki Shuttle)
“日本競馬史上最強のマイラー”と名高いタイキシャトルは、短距離戦線で頭角を現し、1998年には日本馬として初めて欧州G1『ジャック・ル・マロワ賞』を制覇。国内外で圧倒的な強さを見せ、年度代表馬やフランスの最優秀古馬に輝いた。海外での成績を含めても13戦11勝で3着以下はなし、と圧倒的な強さを見せ続けたタイキシャトルの伝説を振り返る。
プロフィール
性別 | 牡馬 | |
父 | Devil’s Bag | |
母 | Welsh Muffin | |
生年月日 | 1994年3月23日 | |
馬主 | 大樹ファーム | |
調教師 | 藤沢和雄 | |
生産者 | Taiki Farm (米) | |
通算成績 | 13戦11勝【11-1-1-0】 | |
獲得賞金 | 6億1548万5000円 | |
主な勝ち鞍 |
1998年 マイルチャンピオンシップ 1998年 ジャック・ル・マロワ賞 1998年 安田記念 1997年 スプリンターズステークス 1997年 マイルチャンピオンシップ |
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受賞歴 | 1999年 顕彰馬 1998年 年度代表馬、最優秀5歳以上牡馬、最優秀短距離馬 1997年 最優秀短距離馬 |
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産駒成績 | 産駒デビュー年:2002年 | |
通算重賞勝利数:20勝 | ||
通算G1勝利数:2勝 | ||
代表産駒 |
メイショウボーラー(2005年 フェブラリーステークス) ウインクリューガー(2003年 NHKマイルカップ) |
世界へ羽ばたいた日本競馬史上最強マイラー
日本競馬には1600mを得意とする”マイルのスペシャリスト”が数多く存在した。古くは芦毛のアイドルホース・オグリキャップや、マイルの女王ことノースフライト。近年では、モーリスやグランアレグリアなど、名前をあげればキリがないが、どの馬が最強のマイラーかといえば、恐らくこの馬一択ではないだろうか、その名はタイキシャトル。1994年、父Devil’s Bag、母Welsh Muffinの間に米国で誕生した、額に星を持つきれいな栗毛の牡馬は、スペースシャトルのように速く走ってほしいという思いを込めて、冠名のタイキにシャトルと名付けられた。
デビュー前は脚のケガなどに苦しむなど、調教が順調には進まず、デビューが4歳の4月となった。脚への負担が少ない、ダートでのデビュー戦を4馬身差で圧勝すると、続くダートの条件戦も快勝した。2戦消化するなかで徐々に、脚元が固まってきたため、陣営は芝レースへの出走を決める。初の芝レースとなったオープン戦では、のちの重賞馬も退けての快勝であった。続くオープン戦は逃げ馬の奇襲に合い、最後まで捉えることができず、初黒星を喫した。しかし3ヶ月の休養を経て秋緒戦のダート重賞のユニコーンSでは、楽に先行すると直線、内から抜け出し2馬身半差をつける圧勝で、重賞初制覇を飾った。
次走は初の古馬とのレースとなる芝重賞のスワンS。レースでは好スタートから先団につけると、直線では楽に抜け出しそのまま1着でゴール。ダート、芝の重賞連勝で、最大の目標としていた、マイルチャンピオンシップに駒を進めた。
迎えたマイル王者を決めるマイルチャンピオンシップ。人気は1番人気が4歳馬ながら安田記念を3着に好走したスピードワールド、2番人気にタイキシャトル、3番人気がトーヨーレインボー、5番人気に桜花賞馬キョウエイマーチと、人気
上位のほとんどを4歳勢が占めた。迎え撃つ古馬勢は、1995年の皐月賞馬ジェニュインを筆頭に、巨漢馬ヒシアケボノ、シンコウキング、タイキフォーチュンと4頭のG1馬が出走しており、豪華なメンバーが顔を合わせた。強豪馬が揃うなか、キョウエイマーチがハイペースで引っ張る展開となる。タイキシャトルは好スタートを切ると前から4、5番手の好位で追走する。直線に入り、鞍上のゴーサインに瞬時に反応すると、逃げ粘るキョウエイマーチを差し切り、2馬身の差をつけて快勝。G1初制覇を飾った。
なお、マイルチャンピオンシップを4歳馬が勝利をしたのは、1988年のサッカーボーイ以来、9年ぶりのことであった。
続くG1の連覇を狙い出走したスプリンターズSでは、前走の快勝が評価され単勝1.9倍の圧倒的な1番人気に推された。逃げ馬が前で激しくやり合うなか、タイキシャトルはいつも通り先団の好位につけると、楽な手応えで最終コーナーから直線を迎える。最後は突き抜けて勝利した。同一年にマイルチャンピオンシップと、スプリンターズSの2つのG1を勝ったのは、初めての快挙だった。
この結果、JRA賞最優秀短距離馬に選出された。この年、デビューした馬とは思えない圧巻の成績に、陣営は翌年の欧州遠征を視野に入れる。
年が明けた1998年。国内短距離路線にはもう敵はいない、陣営は夏の欧州遠征を決定した。5ヶ月の休養明け緒戦、5月の京王杯スプリングSでは、のちのG1馬ブラックホークなどを相手にせず、休養明けも何のそので快勝する。
いざ欧州へ、遠征前の壮行レースとして出走した安田記念。同時期に欧州遠征を予定していた、シーキングザパールも参戦したこの一戦は、大雨が降る最悪の天気のなか、1番人気を背負い、負けられないタイキシャトルは先団に取りつくと、直線、馬場の真ん中からまとめて差し切り勝利。“もう日本には敵はなし”改めてそう思わせる圧勝劇だった。
レース後、8月に開催されるフランス伝統のマイルG1、ジャック・ル・マロワ賞への参戦が決定した。
7月に渡欧したタイキシャトルは現地の水も合い、順調に調整が進み、欧州制圧へ臨戦態勢は整った。また、ジャック・ル・マロワ賞の1週間前に追い風が吹く出来事が起こる。同じくフランスに遠征していた、シーキングザパールがモーリス・ド・ゲスト賞で勝利し、日本調教馬で海外G1初制覇の偉業を達成していた。フランスでは日本馬への評価に、疑問符がついていたが、この快挙にタイキシャトルの評価も鰻登りとなった。
そして迎えたジャック・ル・マロワ賞。1番人気に支持されたタイキシャトルは、初めて経験する直線1600mのレースでも、戸惑うことなく日本と同様にすんなりスタートを決め、逃げ馬を2番手で追走する。残り250mを切ったところで前の馬を交わして先頭に立つと、そのあとも勢いは衰えず、追い込んできた馬を、半馬身抑えて勝利。欧州での慣れない環境にも対応した日本最強マイラーが、フランスの地で大きく羽ばたいた。
凱旋したタイキシャトルは休養を挟み、11月のマイルチャンピオンシップに出走する。欧州遠征帰りの疲れも見せず、レースでは好位を追走する。直線に入って、すぐに先頭に立つと、あとは楽な手ごたえで他馬を圧倒。5馬身差の完勝で連覇を達成した。これで、マイルでは負けなしの7戦7勝となった。もうやり残すことはない。陣営から次走のスプリンターズSで、引退することが発表された。ここまで12戦11勝、2着1回とほぼ完ぺきに近い戦績に、誰もが「負けるはずがない」と、単勝1.1倍の圧倒的1番人気に支持された。
スタート後もいつものように、好位でレースを進めるタイキシャトル。そして迎えた最後の直線。いつもならばシャトルの如く猛スピードで駆け上がってくる。だが、この日は切れ味がない。並走するマイネルラヴ、追ってきたシーキングザパールの2頭に先着を許し、まさかの3着に敗れる。絶対王者の敗戦に騒然とする場内。競馬に絶対はない。引退レースを勝利で飾ることはできなかったが、これまでのタイキシャトルの功績が揺らぐことはないだろう。
この年は日本、フランスで3つのG1を勝ったことが評価され、JRA賞最優秀短距離馬、最優秀5歳以上牡馬、そして、年度代表馬を受賞する。短距離部門から年度代表馬となったのは、タイキシャトルが初めてであった。また、ジャック・ル・マロワ賞勝利が評価され、フランスの最優秀古馬にも選出された。
翌年の1999年には、現役時代の輝かしい成績が評価をされ、シンザン、シンボリルドルフ、ナリタブライアンなど歴代三冠馬も選定されている、JRA顕彰馬に短距離馬として初めて選ばれた。日本競馬史上最強マイラーは日本競馬史における歴史的名馬の地位を確固たるものにした。
※文中の馬齢は当時の表記
(文●目白明)
【了】