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ビワハヤヒデ 〜三冠馬を弟にもつ偉大な兄〜

text by TOM

ビワハヤヒデ(Biwa Hayahide)

1989年、早田牧場はイギリスのニューマーケットで行われた繁殖牝馬セールで、パシフィカスを購入した。パシフィカスのお腹の中には、すでに父シャルードとの仔が受胎しており、その仔は後にビワハヤヒデと名付けられる。また、パシフィカスはクラシック三冠を獲得するナリタブライアンも輩出することとなる。

プロフィール

性別 牡馬
シャルード
パシフィカス
生年月日 1990年3月10日
馬主 (有) ビワ
調教師 浜田光正
生産者 早田牧場新冠支場
通算成績 16戦10勝【10-5-0-1】
獲得賞金 8億9767万5000円
主な勝ち鞍 1993年 菊花賞
1994年 天皇賞(春)
1994年 宝塚記念
受賞歴 1993年 JRA賞年度代表馬 最優秀3歳牡馬
1994年 最優秀4歳以上牡馬
産駒成績 産駒デビュー:1998年
通算重賞勝利数(中央):7勝
通算G1勝利数(中央):3勝
代表産駒 サンエムエックス(2001年 日経新春杯2着)

〜惜敗を糧に大躍進。連対率93.7%を誇るBNWの一角〜

 ビワハヤヒデは、1600mのデビュー戦を2着に1.7秒もの大差をつけ勝利すると、続くもみじステークス、デイリー杯3歳ステークスをともにレコードで制して無傷の3連勝を決めた。迎えた3歳王者決定戦の朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)では単勝オッズ1.3倍という断然の支持を集めたが、ハナ差競り負けて初黒星を喫してしまう。翌年緒戦の共同通信杯も落とすと、陣営は鞍上を岡部幸雄に替えて皐月賞トライアルの若葉ステークスに臨んだ。

 このレースを正攻法の競馬で楽勝したビワハヤヒデは、トライアルレースの弥生賞を勝ったウイニングチケット、2着のナリタタイシンとともにクラシック戦線での3強の一角として後世に語り継がれる存在になる。しかしビワハヤヒデは、皐月賞ではナリタタイシンの切れ味に、日本ダービーではウイニングチケットの魂の走りの前に連続2着と苦杯を舐め、春を無冠で終えることとなった。

 厩舎でハードトレーニングをこなしながら夏を越したビワハヤヒデは、さらなるパワーアップを遂げた。秋の復帰戦に選ばれた神戸新聞杯を快勝して臨んだ菊花賞では単勝オッズでライバルのウイニングチケットを押し退けて1番人気の支持を集めた。好位追走から直線入り口で早々と先頭に立って抜け出すと、あとは差を広げるばかりの横綱相撲で2着に5馬身差をつける圧巻のレコード勝ちで最後の一冠を手にした。

 待望のGⅠ勝利を掴み、意気揚々と挑んだ次戦の有馬記念では、一年ぶりの実戦となったトウカイテイオーの大駆けにあい2着に敗れた。だが、その年の安定した実績が評価され年度代表馬と最優秀4歳牡馬に選出された。一方で、1つ下の弟ナリタブライアンが朝日杯を勝利し、きょうだいでGⅠ勝ちを飾ったことも注目され、後には比較対象とされるほどになる。

 そのナリタブライアンは翌春、兄を上回る快進撃を見せる。出走を重ねる毎に強さを増す走りで春のクラシック二冠を制し、秋には三冠馬となった。一方のビワハヤヒデは、年明けの京都記念を危なげなく勝利して臨んだ天皇賞(春)、宝塚記念をともに鮮やかな勝ちっぷりで連勝した。ナリタブライアンが後方から進出して直線で豪脚を繰り出す競馬なら、ビワハヤヒデは好位から直線で危なげなく抜け出す正攻法のレースぶりで、対照的なレース内容だったこともあり、「どちらが強いのか」「どのレースで直接対決するのか」など話題が尽きなかった。

 その後、ビワハヤヒデは秋緒戦のオールカマーを快勝する。そして迎えた秋の天皇賞でも断然人気を背負い、道中は好位の3〜4番手を追走した。しかし直線を迎えていつもの伸びを欠き、一度も先頭に立つこともなく、らしくない競馬でデビュー16戦目にして初の連対を外す5着に敗れる。するとレース後、屈腱炎を発症していたことがわかり、そのまま引退することとなった。デビューから15戦連続連対はシンザンの19戦に次ぐJRA史上2位の記録となっている。

 弟ナリタブライアンとの現役最強をかけた“きょうだい馬”による直接対決は幻に終わったが、一時代を席巻した走りは人々の記憶から消えることはないだろう。

※本文中の馬齢は当時の表記

【了】

(文●TOM

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