「魂が震える…!」悲願の日本ダービー初制覇・調教師編(4)「泣いてもいいのかな」定年間近に実現した夢
競馬に携わる者であれば、おそらく誰もが夢見る大舞台である日本ダービー。それは騎手や馬主、生産者はもちろん、競走馬を育成する調教師も同じだろう。その中には、期待されながらもなかなか勝利を挙げられず、悔しい想いをしながら悲願を叶えたトレーナーも多い。今回は、悲願のダービー制覇を叶えた5名の調教師を紹介する。今回は4人目。
④橋口弘次郎(2014年 ワンアンドオンリー)
生年月日:1945年10月5日
所属:栗東
代表管理馬:ローズキングダム、ツルマルボーイ、ハーツクライ
G1級勝利:15勝
1990年、史上最多の観客動員数を記録したアイネスフウジンの日本ダービーで4着に入線したツルマルミマタオー。彼を管理する橋口弘次郎師は、開業8年目にしてこれが初の日本ダービー挑戦であった。
その後、2013年までに19頭を挑戦させたが、うち2着が4回。惜しいレースは何度もあったが、勝利へは後僅かに届かないまま、定年まで残り2年に。
そんな橋口師の下に預託されたのが、かつて自身が手掛けたハーツクライの息子、ワンアンドオンリーだった。
8月の小倉でデビューしたワンアンドオンリーは、16頭立て10番人気の12着。続く2戦目は最低人気で出走と、後のダービー馬としてはかなりの低評価を受けていた。しかし年末には重賞であるラジオNIKKEI杯2歳Sを制し、この時騎乗したルメール騎手に「来年のクラシック、ダービーを勝てる力のある馬」という評価を貰うまでの成長を見せる。
翌年は弥生賞と皐月賞こそ敗れたものの、両レースで騎乗した横山典弘騎手は「長く脚を使える馬」と手ごたえを感じたという。
そして迎えた本番。皐月賞を制したイスラボニータの後ろでじっと我慢し、直線の坂下で並びかけ、叩き合いに持ち込む。最後は自身の持久力を活かして抜け出し、師に念願のダービートレーナーの称号を届ける勝利を飾った。いに悲願がかなった橋口師はレースが確定した瞬間、「こういう時は泣いてもいいのかな」と呟いたという。
ハーツクライの息子であるワンアンドオンリーでダービー初制覇を果たした橋口師だが、ワンアンドオンリーの調教助手である甲斐純也氏の父は、なんと師のダービー初出走となったツルマルミマタオーを担当していたという。やはり、ダービーというのはどこか不思議な縁を感じずにはいられない競走である。
【了】
(文●小早川涼風)
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