「魂が震える…!」悲願の日本ダービー初制覇・調教師編(2)やはり武豊で…数々の伝説を産んだ最強コンビ
競馬に携わる者であれば、おそらく誰もが夢見る大舞台である日本ダービー。それは騎手や馬主、生産者はもちろん、競走馬を育成する調教師も同じだろう。その中には、期待されながらもなかなか勝利を挙げられず、悔しい想いをしながら悲願を叶えたトレーナーも多い。今回は、悲願のダービー制覇を叶えた5名の調教師を紹介する。今回は2人目。
②池江泰郎(2005年 ディープインパクト)
生年月日:1941年3月1日
所属:栗東
代表管理馬:メジロマックイーン、ステイゴールド、ゴールドアリュール
G1級勝利:21勝
騎手から調教師に転身した池江泰郎師が管理馬をダービーに初めて出走させたのは1987年のヤマニンアーデン(21頭中16着)。以降は2000年のアタラクシア(3着)まで出走がなかったものの、この間にメジロデュレン、メジロマックイーンという名馬を育て上げており、調教師としての頭角をめきめきと現すようになっていた。
そして2002年に皐月賞馬ノーリーズンをダービーに送り出し(8着)、ゴールドアリュールで初の入着を果たす。「雲の上にある憧れ」と自身が語っていたレースの頂点がかすかに見え始めてきたようなタイミングで池江厩舎にやってきたのが、ディープインパクトであった。
12月の3週目に阪神の芝2000mでデビューしたディープインパクトは、上り3F・33秒1という末脚を繰り出して勝利。これはアグネスタキオンが保持していた33秒8という、同条件で行われた新馬戦で最も速い上り3Fをコンマ7秒も上回る記録であった。
騎乗していた武豊騎手が「この馬はファンの皆さんに覚えておいてもらいたい」と翌週に語り、池江師の口からも「これほどすごい馬を管理するのは初めて」という言葉が飛び出したディープインパクトは、その期待通り見るものを魅了していく。特に落馬寸前の出遅れをしながら完勝した皐月賞は、同馬の力が世代では抜けていることを示す走りであった。
続くダービー、ディープインパクトは同レースで歴代最高となる単勝支持率73.4%の1番人気に推されていた。落馬しかけた皐月賞を繰り返さぬようスタートを「ゆっくり出て」後方から進んでいった同馬は、直線で大外から一気に突き抜けて5馬身差の圧勝劇。池江師は憧れだったダービーに7回目の挑戦で手が届いた。勝利した瞬間、「夢じゃないよな」と、お尻を何度もつねって確認したという。
そんな池江師はすでに調教師を引退しているが、2025年現在はJRAの馬主としても競馬界に携わっている。残念ながらディープインパクト産駒でダービーを制覇するという夢は叶わなかったが、もしかすると彼の孫でダービーを制し、近代競馬では初となる「調教師と馬主でのダブル制覇」の瞬間が見られるかもしれない。願わくは、その時の鞍上は武豊騎手で、と思うのは欲張りすぎだろうか。
【了】
(文●小早川涼風)
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