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「勝ち馬のインパクトがすごい!」阪神ジャンプステークス歴代名勝負(2)1.3倍…断然人気に応えたのは?

text by 中西友馬

1999年に創設された阪神ジャンプステークス。創設当初は阪神芝3170mで行われていたが、2007年からは阪神芝3140mで施行されている。2024年時点で過去に4度、中京芝3300mで開催されており、今年も中京で行われる予定となっている。そんな阪神ジャンプステークスの歴史から、5つのレースをピックアップして紹介する。

②2015年(勝ち馬オースミムーン)

 コウエイトライが史上初となる、同一重賞4勝目を果たしてから5年が経った、2015年の阪神ジャンプステークス。この年の勝ち馬オースミムーンは、コウエイトライ以来2頭目となる、阪神ジャンプステークス2勝目を飾ることとなった。
 
 オースミムーンは、3歳11月に障害入り。入障戦でいきなり2着とすると、2戦目で勝ち上がり、翌年の小倉サマージャンプで重賞初制覇。続く阪神ジャンプステークスも勝利し、重賞連勝。同年の中山大障害には出走しなかったが、障害入り後8戦4勝2着4回と連対率100%で挑戦した翌年の中山GJでは、2番人気の支持を受ける。

 しかしそのレースで6着に敗れると、そこからなかなか結果が出ず、連覇を目指した阪神ジャンプステークスでも3着に敗れる。それでも京都ジャンプステークスで1年以上ぶりの勝利を挙げると、翌年の東京JSで重賞5勝目を飾り、2年ぶりの制覇を目指して阪神ジャンプステークスへと出走することとなった。

 単勝人気は1.3倍と断然の1番人気に推され、戦前からオースミムーン1強というムードで発走を迎えた。

 レースは、マキオボーラーがハナを切り、オースミムーンは序盤4番手辺りを追走。バラバラの展開となり、少頭数ながら縦長の展開となる。レースが動いたのは、2周目3角手前。オースミムーンとミヤコデラックスが早めに動いてマキオボーラーに並びかけ、オースミムーンが先頭を奪取。マキオボーラーも抵抗を見せて2番手で必死に食らいつき、オースミムーンとともに動いたミヤコデラックスは少し離された3番手となって4角を回り、最後の直線へと向かう。
 
 オースミムーンが先頭をキープするところに、外に切り替えたマキオボーラーが再びジリジリと迫る。しかし、最終障害を跳び終えてからは両馬同じ脚いろとなり、オースミムーン断然人気に応えて勝利。マキオボーラーから5馬身離れた3着には、ミヤコデラックスが入った。

 勝ったオースミムーンは、障害重賞6勝目を飾るとともに、阪神ジャンプステークスも2勝目をマーク。阪神ジャンプステークスの複数回勝利は、前述コウエイトライ以来2頭目の快挙となった。

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