皐月賞前にベテラン!? キャリア豊富な皐月賞馬(2)伝説の最強馬…怪物を生み出した調教師の理念とは?
最近のクラシック戦線でよく聞く言葉のひとつに“本番直行”がある。これは2歳G1などに出走した馬が、トライアルレースを挟まずに一冠目のレースへ挑むことを指す。近年はこのローテーションの馬が増加し、キャリアの浅い馬が一冠目を制することも多い。逆に、本番までに多くのキャリアを積み重ね、一冠目を奪取した馬はどれほどいるのだろうか。今回は皐月賞が8戦目以上の馬の中から、5頭をピックアップして紹介する。今回は2頭目。

②1994年 ナリタブライアン(皐月賞は10戦目)
「史上最もキャリアの多い三冠馬」としても知られているナリタブライアン。13戦目にしての三冠制覇は、同じ三冠馬であるコントレイルの生涯出走数より多い。
皐月賞はキャリア10戦目での出走。朝日杯3歳Sも制し、前哨戦も勝利してきた彼に死角はないように思われ、1.6倍の1番人気という圧倒的な支持を受けていた。だが、8月のデビュー以降、出走が無かったのは4歳の1月だけという彼に対し「疲労が溜まっているのではないか」という見方もあった。
レースはサクラエイコウオーが1000m通過58.8秒で引っ張る速い流れに。ナリタブライアンは最内からのスタートで、中団でじっと構えていた。向こう正面で、外に持ち出し進出を開始すると、直線では大外から一気に先頭集団へ。前半のハイペースで脱落していく先行勢をよそにぐんぐん加速し、追いすがる後続を寄せ付けない完勝劇を見せた。
その走破時計は1分59秒ジャスト。当時のレースレコードを1秒2更新するばかりか、中山芝2000mのコースレコードも0秒5上回るタイムだった。この皐月賞の走りによってファンに「三冠も夢ではない」と思わせたナリタブライアン。以降はダービー、菊花賞と走るたびに着差を広げ、世代で最も強い馬を証明した。
結果的に皐月賞でのキャリアの多さによる不安は杞憂に終わったが、この出走数の多さには「レースで鍛えて馬を強くする」という大久保調教師の理念と「トレセンの雰囲気で興奮しやすいブライアンの緊張を、少しでも解くために間隔を詰めて使った」という理由があったようだ。不安要素となっていた出走数の多さが、ナリタブライアンの強さに繋がっていたのである。
【了】
(文●小早川涼風)
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