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ドバイWCの日本馬激闘史(3) 地方所属馬の海外挑戦における先駆者。“チーム南関”で挑んだドバイ遠征

text by 中西友馬

1996年の創設以来、世界最高賞金のレースとして広く知れ渡っていたドバイワールドカップ。サウジCが新設された2020年以降、世界最高賞金の座は明け渡したが、今でも世界のトップホースが集まるドバイミーティングのメインレースである。そんなドバイWCに挑戦した日本馬の歴史の中から、5つのレースをピックアップして紹介する。今回は2005年のドバイワールドカップ。

AdjudiMitsuo
アジュディミツオー

2005年アジュディミツオー(6着)

 1996年にライブリマウントが日本馬としてドバイワールドカップに初挑戦してから、ほぼ毎年のように日本は出走馬を送り込んでいたが、それらは全てJRA所属の馬たちであった。しかし、記念すべき第10回ドバイワールドカップが行われた2005年、ついに地方所属馬が初めてドバイの地に降り立った。それがアジュディミツオーである。

 アジュディミツオーは、南関東競馬の船橋でデビュー。デビューから4戦4勝で東京ダービーを制して世代の頂点へと上り詰めると、その後は交流重賞で強力なJRA勢と互角の戦いを見せる。そしてついに、雪の降る中で行われた東京大賞典でJRA勢を撃破してG1初制覇。ドバイワールドカップに招待を受け、4歳シーズン初戦として挑戦することとなった。

 鞍上も、当時は大井のトップジョッキーで、アジュディミツオーと3歳秋からコンビを組む内田博騎手。まさに、チーム南関東で挑む海外遠征となった。しかし、現地で使うはずだった前哨戦を使わずにぶっつけ本番になるなど、万全とは言えない状態。やはりこれまで船橋と大井でしか走ったことのないアジュディミツオーにとって、ドバイの地は初めて尽くしの環境。100%の力を発揮することは難しかったかもしれない。

 しかしそんな中でも、アジュディミツオーは12頭中6着に健闘。ちなみに勝ったのは、現役引退後に日本で種牡馬入りし、今年種牡馬引退が発表されたロージズインメイであった。地方所属馬でも、世界の舞台で戦えるということを十分に証明したアジュディミツオー。その後、偉大な先輩の足跡を辿って、2006年にはコスモバルクがシンガポール航空国際Cを優勝。記憶に新しい2023年には、マンダリンヒーローがサンタアニタダービーで2着。ケンタッキーダービーにも出走した(12着)。

 地方所属馬でも、海外のレースが選択肢に入ってくる時代。その道を切り拓いたのは、世界の舞台で戦った先駆者である、アジュディミツオーであった。

【了】

(文●中西友馬

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